新房昭之、山本寛両監督の作品にみる、とんねるずの面影

 
かんなぎ」がもう毎週毎週おもしろくて目が離せません。
 

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いや、放送前には以下のような発言もあったのに、話が違うぞ! っていう部分が自分の中で無きしもあらずなんですが。見てる間は、その違和感を感じさせないくらい、おもしろい!
 
「普通にできたらええねん」 「らき☆すた」「かんなぎ」のアニメ監督・山本寛さん
 
このインタビューで山本監督が使っている「ギミック」って言葉が、どの文脈から引っ張られてきたものかは不明ですが、プロレスファンの自分からすると、「ギミック」って言葉はプロレスにおける隠語のそれなわけで。放送前(試合前)には「普通にやる、正々堂々と闘う!」と宣言しておいて、いざ放送(試合)が始まると、変化球をバンバン投げてくる(荒っぽいラフ・ファイトを仕掛けてくる)って展開も、まんま80年代の悪役プロレスラーっぽくて素敵です。
 
山本寛監督言うところの「ギミック」ですが、これを多用するアニメ監督といえば、新房昭之監督が挙げられますよね。この二人が多用するギミックの定番といえば、
 

1.アニメ・スタッフや原作者、またはゲストを実写で登場させたり、声優として起用する。
 
2.他作品のパロディーを多用する。
  
3.劇中の登場人物のセリフなどによって、しばしば作品内にメタ的構造を持ち込む。

 
といったものが挙げられると思います。
 
ところで、こういうギミック使い方っていうのが、見る度にアニメ文脈の外にいる、ある人物を僕に連想させるのですよ。
 
それは、とんねるずです。
 
かんなぎ」や「さよなら絶望先生」といったアニメで使われるギャグと、全盛期のとんねるずの笑いの感覚って、何だか似てると思いませんか?
 
 

とんねるず新房昭之山本寛の「身内いじり」

かんなぎ」「さよなら絶望先生」「らき☆すた」といった現代的なアニメ以前に、前述したギミックとしての笑いを、テレビの世界で使用していたのが、80年代後半〜90年代前半における全盛期のとんねるずだと思います。
 
とんねるずは、それまでの漫才ブームを牽引していたお笑い芸人(ビートたけし島田紳助ら)が漫才という「ネタ」で勝負をするジャンルで活躍していたのに対し、バラエティー番組における奔放な発言、振る舞いや、業界受けのギャグ、楽屋オチなどの身内いじりを行うことによって、圧倒的な支持を受けていきます。
 
こうした身内いじりのネタの中でも有名なのが、「みなさんのおかげです!」のスタッフだった石田弘氏をモチーフにした番組の定番コント「ダーイシ男」*1
 

 
本来、番組の表に出るタレントならともかく、裏方であるプロデューサーやカメラマンといった作り手の顔を、視聴者は知る必要もなければ、「ダーイシ」の様なコントに共感を感じて笑う必要もないわけです。とんねるずのこうした笑いのセンスには、視聴者とテレビ業界(80年代的に言うならば「ギョーカイ人」)の境目を曖昧にしてしまう効果があり、またそうしたセンスがバブルの空気感の中では、時代のニーズに見事に答えていたのです。
 
新房監督も、山本監督もよく似たようなことをやっていますね。
 

原作者のアシスタントの顔写真を多用してみたり、
 

アニメ会社のスタッフにメイド服を着せてみたり、
 
ひだまりスケッチ」のうめ先生や、「かんなぎ」で山本監督や、脚本の倉田英之先生がキャラクター化されて登場(cvもご本人で担当されて!)したりしていましたが、やはりこうした「身内をいじる」ギャグ、ギミックの中では、作品とスタッフ、視聴者といった本来なら存在すべき境界が、とんねるずのコント同様、曖昧になっているように自分には感じられます。そのため、自分は両監督の作品に、どうしても、とんねるずの面影を見てしまうのです。
 
また、とんねるすが多用したギャグの一つに、ベテラン俳優や清純派アイドルに、あえて汚れ役やイメージと違うキャラクターを演じさせ、そのギャップで笑いをとるというものがあります。「みなさんのおかげです!」における松嶋菜々子さんや、「生ダラ」のスターにしきのなんかがそうですね。
 
かんなぎ」でゲスト出演された若本規夫さんや大塚芳忠さん(何故かメイド喫茶のマスター役で、しかもオカマちっく)、八奈見乗児さん、「らき☆すた」における立木文彦さんのようなベテラン声優の使い方は、声優さんのキャラクターありきの起用であり、この辺りの「”いじることで”笑いをとる」作風にも僕は、とんねるずの笑いに近い感覚を覚えるのです。
 
 

■パロディー感覚とギャグのメタ的構造

とんねるずは「みなさんのおかげです!」におけるコントのモチーフにドラマ(主にフジ系列)のパロディーを好んで使用しました。こうしたコントからは、時に「仮面ノリダー」のような名物キャラクターが生まれ、「北の国から」のパロディーであるドラマコント「ちょっと北の国から」のように、長期間に渡って演じられ続け本家同様の長編シリーズとなった名作も誕生しています。
 
さて、事例をイチイチ挙げだせばキリがないほど、新房昭之山本寛の両監督は、自身が携わったアニメ作品に、パロディーを用いますね。
 
 
また、とんねるずは、コントにおいて敢えて意図的にアクシデントや、ハプニングを起こし、それを笑いに昇華する、という技法を編み出しました。
とんねるずが生み出した、この技法は、舞台で行われるコントや漫才といった本来の意味での「芸」からは逸脱した笑いであり、コントいう枠組みを大きく超越した行為なわけです。
 
ですが、「水落ちをしたノリさんが、コントの設定を離れてスタッフを罵倒する」「役者として出演しているスタッフのプライベートを暴露する」「突如暴走を始めて、セットを破壊」「コントの最中に突然アドリブを入れることで、共演者を爆笑させ、コントを続行不能にする」といった、「おかげです!」の定番ギャグの数々は、従来の「お笑い」にはなかった「コントの台本、本来のドラマから離れた位置から笑いをとる」という非常にテクニカルな手法です。
 
純粋にドラマやネタで勝負をするのではなく、「コント」「ドラマ」という本来の枠組みを逸脱して笑いを取りに行く、というトリッキーな笑い。
 
こうしたメタ的な笑いは、「かんなぎ」や「さよなら絶望先生」といったアニメ作品では、しばしば「アニメの登場キャラクターが、自身の存在する世界を、アニメ作品、フィクションであるということについて自己言及する」というロジックで反復されます。
 
例えば、「かんなぎ」の第六幕「ナギたんのドキドキクレイジー」(「げんしけん」とはまた違う文脈で、オタクの理想郷を描いたような、本当に素晴らしい回でした)では、ヒロインの一人である青葉つぐみの口から、ナギに対して以下のようなセリフが出てきます。
 

「そんなアニメ服着てる貴方が、サマ○サ・タバサ*2とか言ったら、数少ない女性視聴者に鼻で笑われますよ」

 
アニメ本編を見ておらず、前後の文脈が分からない方には、まるで意味不明なセリフだと思いますが、これがどれだけトリッキーなセリフであるかは、アニメが好きな方なら理解していただけると思います。
 

1.つぐみが、ナギの服装を、「アニメ服」だと評する点。
 
2.サマンサ・タバサという実際に存在するブランドをフィクションの世界に持ち込んだ点。
  
3.「数少ない女性視聴者」というセリフから、つぐみが婉曲的に「かんなぎ」が男性のオタク向けのアニメであると批評をしている点。

 
以上の様なポイントから、僕はこのつぐみのセリフを「トリッキーである」と感じたのですが、「フィクション」と「リアル」の境目を奔放に行き来する、こうしたセリフの数々に、ドラマ、物語を超越した場所から笑いを取りにいく、という、とんねるず的な感性が感じられて仕方がないのです。
 
パロディーとメタ的な笑い。共通するのは、情報化が加速し、メディアへの接し方が大きく変貌した、いかにも80年代的な感覚です。
 
 

とんねるず新房昭之山本寛。その世代とは?

ちなみに、
 
新房昭之監督は1961年の9月27日生まれ、石橋貴明は1961年の10月22日生まれで、この二人は実は同い年です。(木梨憲武は、1962年の3月9日生まれで、学年は一緒)
 
いくらなんでも、両者は同い年だから同時代の感覚、センスを共有していて、それが作品に表れるのだ、なんて強引な事を言うつもりはありませんが、「ぱにぽにだっしゅ」でそれまでのアニメの流れを一変した新房監督と、「夕やけニャンニャン」「みなさんのおかげです!」といったフジテレビの番組で、バラエティーの構造に変革をもたらした、とんねるずの二人が同世代というのは興味深い話です。
 
 
それでは、山本監督の場合はどうでしょうか?
山本寛監督は、1974年の9月1日生まれ。世代的には、とんねるず直撃世代と言えるでしょう。
 
少し年齢は上ですが、とんねるずに多大な影響を受け、現在テレビの世界で活躍しているタレントとしては、例えばナインティナインが挙げられます。(岡村隆志、1970年7月3日生まれ、矢部浩之、1971年10月23日生まれ)
 
初期「めちゃイケ!」におけるコント「敏腕プロデューサーこにし」*3の例を挙げるまでもなく、未だにテレビの世界で生真面目に「とんねるず的な笑い」を実践、反復しているのが、ナインティナインです。
 
世代的に、山本監督も、ナインティナイン同様、80年代的な感覚に強い憧憬を持っているとは言えないでしょうか? 
 
かんなぎ」OPの曲やダンスが、中山美穂の楽曲にインスパイアされている、というトリビアはファンの間では有名ですし、
 
中山美穂 / 派手!!!>

 
かんなぎOP / motto☆派手にね!

 
前述の「かんなぎ」のインタビューでも、
 

僕は、打ち合わせの時に必ず、テレビドラマの「ママはアイドル」と「パパはニュースキャスター」を見てねって言ってます。この二本によく似てるなって思ったんですよ。あとは「翔んだカップル」かな。80年代によくあった、知らないうちに一つ屋根の下に暮らしている、その中でのドキドキ感を描くという、すごくシンプルな構造をやりたいです。

 
といった発言から、山本監督の80年代文化への親和性の高さが窺えます。
 
推測になってしまいますが、こうした発言や年齢を考えると、ナイナイの二人と同様に、山本監督にとって、80年代のイケているポップ・カルチャーの最先端であった、とんねるずからの影響は少なからずあるのではないでしょうか?
 
 

■まとめのようなもの

何だか、言いたいことが山ほどありすぎて、とっ散らかっている上に、完全に推測のみで書いたエントリーになってしまいましたが、僕が新房、山本の両監督作品におけるギャグセンスに、とんねるず的な感覚を覚える理由が何となくは伝わったでしょうか?
 
じゃあ、何でそういったギャグセンスが、アニメにおいてゼロ年代以降に出てきたのか? とか、川口敬一郎ナベシンのような人物はどうなのか? とか、そもそも「とんねるず」の部分は「ウッチャンナンチャン*4じゃダメなのか? とか色々と妄想が膨らむ余地はあるのですが、とりあえず今回はこの辺で。
 
でも、自分がバラエティー番組大好きな人間だからかもしれませんが、バラエティー番組とアニメの比較はやってて楽しいですね!
 
 
 

*1:「ダーイシ男」は「おかげです!」における最重要コントの一つで、確か「おかげです!」の最終回も、石橋演じるダーイシが天に召されるトコロで終わったと記憶しています。

*2:実際の劇中では”ピー”音が入る。

*3:体毛が濃く、「ア」の発音が「ナ」に聞こえるなど、非常に濃いキャラクターの持ち主である「めちゃイケ!」のプロデューサー、小西康弘氏(当時)を岡村が熱演するコント。口癖は「こにしですけどぉ〜」

*4:「おかげでした!」と同じく、フジテレビで放送されていた「やるならやらねば!」におけるパロディーコントの数々は秀逸!