ガース・ジェニングスの「リトル・ランボーズ」を観たった!

 

 

宗教上の厳しい戒律の下、俗世間の娯楽から身を置いた生活を送る小学生のウィルは、ある日学校一の悪童カーターと出会う。
カーターの家で生まれて初めての映画「ランボー」を観たウィルは、一瞬にしてこの不屈の戦士の虜となり、BBCのコンテストへの出品を夢見るカーターと共に映画作りを始める。
カーターという友人とランボーというアイドルを得たことから、カメラの前で一挙に飛翔を始めるウィルの才能と想像力。ところが、そこにフランスからの留学生、ディディエがやってきたことから、順風満帆に思えた彼らの映画作りは徐々に雲行きが怪しくなっていき…。

 
ようやく、新宿シネマートで「リトル・ランボーズ」を観てきました。期待と前評判に違わず超いい映画でした!
もうアチコチで話題に、そして絶賛された映画なので、今更自分がどうこう書くこともないんですけど、それでもこういう素晴らしい映画を観た記念にアレやコレやと覚書きを。
 
何はともあれ、脚本が素晴らしかった! 最初は、主人公である二人の少年…ウィルとカーターの家庭環境がかなり特殊な為、彼らに感情移入して観ることができるか不安だったんですけど、映画が進むとそんな不安はどこへやら。もう、ウィルとカーターの友情、そして、その友情によって生まれた映画「ランボーの息子」が、世間一般での幸せや楽しさから隔離されていた彼らの生活に光を差し込むラストには、ここ最近観た映画の中でもスバ抜けた多幸感があったよな〜と。
 
監督・脚本のガース・ジェニングスは、これまでにRadioheadのPVなんかを撮っている映像作家で、本作はデビュー作である「銀河ヒッチハイク・ガイド」(大好きなラッパーであるモス・デフの主演作なのに、恥ずかしながら未見…)に続く劇場長編二作目。
その映像センスは、同じミュージック・ビデオの世界で名を馳せ、映画監督となったミシェル・ゴンドリーと近いものがあるなぁ〜と。観る前は、もっとインディーっぽい、地味な絵をイメージしていたので、これはちょっと意外でした。
比べるものでもないんでしょうが、PV監督で主人公たちがインディー精神を発揮して映画を作るというシナリオで、ゴンドリーの「僕らのミライへ逆回転」を連想した映画ファンも多いはず。アレもハートフルで笑えて、そして胸にちょっとセンチメンタルな感傷を残す良い映画でしたよね。
 
おもしろいのが、そうしたゴンドリーとかスパイク・ジョーンズだとか…あの辺りの映像作家が持つファンタジックな映像センスが、この「リトル・ランボーズ」では主人公であるウィルのイマジネーション(そして、そのイマジネーションは彼らが夢見る「ランボーの息子」という映画そのものなのだ)と直結して描かれているところ。
ウィルとカーターがクリエイトする空を飛ぶ犬やランボーの息子たちの行く手を阻む凶悪な案山子…なんてのは、如何にも子供らしい発想力から生まれたキャラクターで思わず口元が微笑んでしまうのだけれど、それを抜群のセンスと技術でキチンと視覚化して観客に提示するものだから、観ているコチラはこの二人の映画作りに引き込まれてしまう。
で、またそのイマジネーションをビデオカメラの中で実現しようと奮闘する二人の奮闘と無茶っぷりに、僕らは思わず声援と送ってしまいたくなるのですよ。
 
そうそう、シナリオと映像が素晴らしいのは勿論のこと、劇中で使われる80年代のニュー・ウェーヴィーなヒット曲の数々も素晴らしかったです。
ワルガキ共と一緒に学校内に設けられたディスコに入るシーンではDuran Duranの「Wild Boys」、カーターが兄貴と車に載るシーンではゲイリー・ニューマンの「CARS」…と色々な意味でド直球な80'sナンバーが持つ甘酸っぱいジェネレーション感覚は、本作のイメージを形作るのに大いに一役を買っております。
登場人物たちがDepeche Modeの「Just Can't Get Enough」に合わせてダンスを踊るシーンは特に良かった!
 


 
シナリオ、映像、音楽と全てが完璧な本作の中で作られる劇中劇「ランボーの息子」は、ウィルとカーターの想像力と行動力によって生まれた技術的には隙だらけの映画だったけれど、だからこそピュアな映画の楽しさ、素晴らしさを観る人に伝えることができた。そして、それっていうのはこの「リトル・ランボーズ」という映画の魅力そのものでもあると思うんですよね。
 
リトル・ランボーズ」。本当に、おススメの映画です!