ホラー系のアニメや漫画で、チェーンソーって何であんなに人気があるんだろう?

 

 
ホラー・アクション系のアニメや漫画を観ていると、劇中にチェーンソーが登場することがよくあります
 
例えば、これはゾンビですか?シリーズなんかがそうですよね。よくよく考えてみれば、この作品、ヒロイン(あるいは、ヒロイン的なポジションにいる女装男子)の武器がチェーンソーというのは如何にも不釣り合いなんですが、それが何だかシックリくるし、作品のイメージにもマッチしている。他に、チェーンソーが出てくる作品だと怪物王女なんかも有名どころの一つだと思います。
 

 
本作も、ヒロインがチェーンソーを武器に、その細腕で怪物を薙ぎ倒していく(というか、切り倒していく)作品です。
 
ホラー系の作品に欠かせないチェーンソー。しかし、何故にこんなマニアックな武器が…いや、本来の用途としては、アレは武器ではなく木を切る為の道具なわけですが…人気なのでしょうか?
 
チェーンソーの人気の秘密とは? また、そのルーツとは? 今回のエントリでは、そんなチェーンソーについて自分なりにアレやコレやと書いてみたいと思います!
 
 

■アニメやゲームに出てくるチェーンソー

これはゾンビですか?」や「怪物王女」といった作品の中で非常に印象的に使われているチェーンソー。アニメや漫画、ラノベだけでなくゲームの世界でも大人気です。例えば、グラスホッパー・マニファクチュアロリポップチェーンソー
 
<ロリポップチェーンソーPV>

 
ロリポップチェーンソー」は、そのタイトル通りチェーンソーを武器にヒロインがゾンビの群れと戦うアクションゲーム。映画秘宝的なセンスとノリによるリスペクトの精神というか、ホラー映画へのオマージュがタップリと詰まったゲームのようです。"ホラー"に"kawaii"をミックスさせたらどうなるか? というクロスオーヴァー的な精神でキッチュでポップなホラー・ワールドを作っている。
 
また、その設定、世界観だけでなく、このゲームは脚本に「ゾンビ」のリメイク作である「ドーン・オブ・ザ・デッド」や、グロテスクなヴィジュアルの寄生生物との戦いを描いたSFホラー「スリザー」を手掛けたジェームズ・ガンが参加をしているのもホラー映画ファンには堪りません。意外とホラーとしても本格派のこのゲーム。いみじくも、本作では「これゾン」のコスチュームが登場するというコラボが行われていたりもします。ラノベアニメとスタイリッシュなアクションゲームのリンク。それを繋いでいるのもやっぱり電ノコ。
 

 
確かに、チェーンソーといえば、ホラー映画に出てくるアイテムの代名詞、定番アイテムというイメージがありますが、それにしたって、何故にこんなにもチェーンソーは人気なのか?
 
 

■ホラー作品に登場するチェーンソーのルーツを探ってみよう

映画でアニメでも漫画でもゲームでも…チェーンソーが登場するホラー系作品のルーツを遡ってみれば、それはある一本の映画に行き着くのではないかと思います。
 
その映画とは、トビー・フーパー監督によるスプラッターホラーの金字塔悪魔のいけにえ
 
<悪魔のいけにえ予告編>

 
…まぁ、知ってる人からしたら結局、そこかい! という話でしょうが、やっぱりチェーンソーといえば「悪魔のいけにえ」。最早、説明不要の名作かと思いますが、一応本作のディティールを簡単に説明をさせていただきます。
 
悪魔のいけにえ」というナイスな邦題が付けられた本作の原題は、"The Texas Chain Saw Massacre"。そのタイトル通りテキサスの田舎町にやってきた男女のグループがチェーンソーを持った異常な殺人鬼によって次々に惨殺をされていく…という内容の作品です。
 
また、その殺人鬼のビジュアルというのが何とも凄まじい。"レザーフェイス"という名前のその殺人鬼は、自分が殺した人間の皮で作ったマスクを被った大男。コイツが爆音で唸りを上げるチェーンソーを手に、その巨体に似合わぬスピードで獲物目掛けて走ってくる恐怖感たるや、「こんなのが出てきたら、そりゃあホラー映画のマスターピースとして映画史に残らざるをえんだろう!」と思わせてくれるほどの空前絶後インパクトと説得力を持っている。更に、このレザーフェイス、そんなグロテスクな容姿に輪を掛けて、その内面も狂気の権化というか、観ている側の道徳とか常識とかをことごとく捻り潰すような異常性に満ち満ちている。
 
返り血を浴びてグチャグチャになっているエプロン(また、そのシミの出来方が妙にリアルで、コイツは人だか動物だかを実際にチェーンソーで葬ってきたのでは…? と思わせてくれる)に、最悪の歯並びをチャームポイントの筆頭とする醜悪な風体、言葉は発せず不快感に満ち満ちた唸り声を上げ続け、泣け叫ぶ人間を無慈悲に殺す一方で、時には女装姿まで見せる…と、とにかくフリークス的であり、ヴァイオレントな存在。言うなれば、"狂気"や"異常""暴力"といったハードコアなイメージのアイコン、それがレザーフェイスというモンスターなのではないかと思います。
 

 
余談ではありますが、このレザーフェイス。その名称やビジュアルデザインが余りにも秀逸過ぎた為に、他のカルチャーからの様々なオマージュが現在に至るまで行われ続けています。
例えば、プロレス界にはこの異形のシリアルキラーをそのまま模した"レザーフェイス"(後に、"スーパー・レザー"に改名)というプロレスラーがいて試合の度にチェーンソーを振り回しながら観客席に乱入をしていましたし、イギリスのパンクロックシーンにも、LEATHERFACEという「悪魔のいけにえ」から名前の頂戴したバンドが存在しています。
 


 
プロレスやパンクといったハードコアなイメージの強いカルチャーの中では、この"レザーフェイス"という名前は、最早ある種の神格化がなされているといっても過言ではないでしょう。例えば、パンクやハードコア系のバンドが多数出演をするようなライブハウスに行くと、バンドのライブ告知用のフライヤーにレザーフェイスのイラストや写真がコラージュされたものが今でも沢山ある。
 
そんなホラー映画界の"大ヒット商品"であるレザーフェイスの存在感に、人間の皮で作ったマスクと同じく、大きく貢献をしているのがチェーンソー。
 
 

■ホラー映画における"凶器"の哲学

もしも、レザーフェイスが持っている武器がチェーンソーではなく、もっと他の武器…例えば、これがピストルだったら…であれば、例えトビー・フーパーという監督がどんなにホラーの映像作家として優れた才能の持ち主であったとしても、ここまでの衝撃性は演出できなかったでしょう。
 

 
ホラー映画に出てくる凶器というのは、殺人の為の整合性ではなく異常性が必要であると私は考えています。つまり、銃や毒薬というのは殺人を犯すのにもっとも最適なアイテムではありますが、それでは"ホラー"としてのショッキングさ、観ている人を恐怖に陥れるインパクトというのは薄味になってしまう。早い話が、それでは当たり前過ぎるのです。
 
結果、ホラー映画は様々なインパクトを持つ"凶器"の数々をスクリーンの中に投入していくことになります。例えば、ジョー・カーペンターの「ハロウィン」におけるブギーマンの包丁や「13日の金曜日」におけるジェイソンの鉈や斧(コレは即ち、日常にあるアイテムが一転して人を殺す為の道具に成りえるというショッキングさですね)、あるいは、「エルム街の悪夢」におけるフレディー・クルーガーの鉤爪、「ファンタズム」の空飛ぶ鉄球、「ヘル・レイザー」シリーズの奇々怪々な殺人器具の数々(ホラーのキャラクターや世界観を立てる為に独創性を持たせたデザインの凶器達です)、あるいは「カサンドラ」のジョギリ…いや、アレは配給会社が勝手にデッチ上げた代物で、本編にはそんな武器出てこないんでしたね…などなど。
 
ホラー映画のファンの方以外にはピンとこないかもしれませんが、好きな方ならすぐに頭の中でピンとイメージできるスプラッターなアイテム群。また、こういった凶器があることによって、それを使用する殺人鬼やモンスターのキャラクターの狂気性も一層引き立ちます。"凶器"と"狂気"は、まんま比例しているんです。
 
 

■チェーンソーが持つショッキングさ

そんな中でも、チェーンソーは特にショックのレベルが強い凶器だと言えるでしょう。何しろ、本来なら木を切る為の道具で人間の身体が切り刻まれていくことになるという、ちょっと考えただけでも痛みが想像できますし、心理的にも肉体的にも嫌〜なフィーリングが生々しく迫ってくる。いっそ、コレが鋭利な刃物とかなら同じ切断されて死ぬのでも、もう少し苦痛を感じずに済むような気がしますが、そういう綺麗な死に方を許してくれない、コレで切られたら身体はグチャグチャになっちゃうんだろうな〜という不快なイメージが容易にできる。
 
更に凄まじいのは、あの爆音です。チェーンソーに搭載された小型エンジンによる不快なノイズ。あの爆音、騒音。そして、そこから立ち上る白煙と火花。聴覚と視覚に一遍に襲い掛かってくる"暴力"というのは、やはりチェーンソーでなければクリエイトできないものでしょう。
特に、音というのは非常に重要な要素だと思います。「悪魔のいけにえ」でもBGM、SE的にノイズのようなサウンドが使用されている上に、フィルムの質感自体にも妙なザラツキがあるんですが、その不快な映像と音像を更にチェーンソーのエンジンの音が加速させている。
 
この「悪魔のいけにえ」を撮ったトビー・フーパーは、後に「悪魔の沼」という、これまた殺人鬼の元を偶然訪れた人々が次々に毒牙にかけられる…という内容のホラー作品を撮っていますが、残念ながらこの作品は自身の最高傑作である「悪魔のいけにえ」を超えることができず、またファンからの人気と評価も決して高くはありません。テキサスの乾き切った猛暑の中でロケを行った「悪魔のいけにえ」と全編スタジオのセットの中で撮影をした「悪魔の沼」。デザイン性にも優れたレザーフェイスとただの冴えないオッサンという"主人公"たる殺人鬼の格差…と、この二つの映画のディティールは随分と違っているのですが(故に、見比べてみるとかなり面白いです!)、そこにはやはり"音"の存在の有無も大きく関わっているのではないかと思います。
 
というのが、「悪魔の沼」では、殺人鬼の武器に大鎌がチョイスされているんです。大鎌もなかなかのインパクトはありますが、爆音で唸りを上げるチェーンソーに比べると、これはどうしても分が悪いと言わざるをえない。
 
やはり、ホラー映画におけるチェーンソーのインパクトとショッキングさというのは、格別なものがあると思うのです。
 
 

■恐怖と暴力の象徴たるチェーンソー

このようにチェーンソーというアイテムは、恐怖と暴力のシンボルとしてホラー映画の中で定番化、象徴化していったように思います。
その流れに「悪魔のいけにえ」と同じく大きく貢献をしたのが、サム・ライミ死霊のはらわたでしょう。
 

 
コチラは、「悪魔のいけにえ」とは違い、ホラー映画の中にエンターテインメント性とユーモアを盛り込んだ作品。大量に吹き出す血飛沫やグチャグチャのスプラッターシーンを用いながらも、そこにはどこかポップさというか、グロテスクでありながらもカラッとした明るさがある。本作では、モンスターと文字通り血みどろの戦いを繰り広げる主人公の武器としてチェーンソー(と、ショットガン)が起用され、多数の亜流作品を生み出しつつ、全三作まで続く人気作となります。
 
インディーズに近い制作体制で本作を撮ったサム・ライミは、後にハリウッドのメジャーシーンへと活躍の場を移し「スパイダーマン」のような超大ヒット作を生み出す人気監督となりますが、「悪魔のいけにえ」はそんなサム・ライミがホラー映画のヒストリーに残したマスターピース。「悪魔のいけにえ」と「死霊のはらわた」という傑作において、チェーンソーが使われたことにより、このアイテムはホラーのシンボルになっていたのではないでしょうか?
 
例えば、「ホラー=チェーンソー」という図式が一般化している有名なエピソードとして、映画ファンの間では「『13日の金曜日』のジェイソンはチェーンソーを使わない」というトリビアルな小ネタがあります。「13日の金曜日」に登場をするホッケーマスク(初期作品では、ズタ袋ですが)を被った殺人鬼、ジェイソンといえば、これまたホラー映画定番の有名キャラクターですが、コレがどういうわけか、アニメや漫画、あるいはコントといったステージでパロディが行われた時にチェーンソーを持って登場する場合が非常に多い。
 
<「ジェイソンさん」おっきな 澪を彫る「けいおん!」>

 
ところが、ジェイソンは映画の中でチェーンソーを使うことってないんです。前述したように、ジェイソンの凶器は斧や鉈がメイン。あとは、怪力を使った力任せの殺人が中心です。では何故、人がジェイソンのビジュアルを連想する際にチェーンソーを持たせてしまうかというと、ホラー映画の有名キャラクターであるジェイソンとホラー映画の定番アイテムのイメージが組み合わさって、このような思い込みによるジェイソン像ができあがっていったのではないかと思います。
 
最後に、もう一本チェーンソーが登場する映画作品を。クエンティン・タランティーノパルプ・フィクションでは、暴力的な警察官に捕まったブルース・ウィリス演じる主人公が、彼らと対峙をする為に武器をチョイスするというシークエンスがあります。
 

 
この時、主人公は最終的に日本刀を選ぶことになるのですが、その途中でチェーンソーを手に取るシーンがある。タランティーノの映画といえば、「レザボア・ドッグス」なんかもそうであったように、劇中での銃の撃ち方と演出術に頻繁に言及が行われますが、この映画の中でチェーンソーが出てくるというのは個人的には非常に興味深く思っているポイントだったりします。
熱狂的なシネフィルであり、過去の映画作品へのオマージュと愛を注ぎ込みながら、90年代に新しい映画のスタイルを創り上げたタランティーノ。「座頭市」や「子連れ狼」ライクな剣劇ガンダムハンマーみたいな鉄球などなど、様々な武器を劇中で用いるタランティーノが「パルプ・フィクション」のスタイリッシュなヴァイオレンス映画の中で、一瞬でもチェーンソーを画面に映したというのは如何にもおもしろい。
 
こういった映画を観てみても、やっぱり、チェーンソーは、恐怖と暴力の象徴足りえるアイテムだと思うんですね。
 
 

■まとめ

このエントリの冒頭で名前を挙げたような作品群…例えば「これゾン」、例えば「怪物王女」、例えば「ロリポップチェーンソー」といった作品において、チェーンソーが登場するのも、こうしたホラーやヴァイオレンスに満ちた映画作品から脈々と受け継がれた系譜であり、また、過去の傑作群へのリスペクトによるものではないかと思います。また、アニメや漫画のようなポップなキャラクターや世界観にチェーンソーというアイテムを持ち込むことによって、そこにギャップというか"毒"みたいなものを生み出す効果もあるのではないか、と。魔法少女にチェーンソーを持たせるという「これゾン」なんかも、魔法少女モノのお約束へのブラックなユーモアではないかと思うんです。
 
いずれにしろ、アニメや漫画、ラノベにゲーム、あるいは映画…といった表現分野において、今日もどこかでチェーンソーの爆音は鳴り続けているのです。