中学生の難しい感性を描いた青春アニメとして観る「いなり、こんこん、恋いろは。」

 

 
現在放送中のテレビアニメいなり、こんこん、恋いろは。がおもしろい。
 
キャラクター、音楽、ストーリー、演出…といったアニメを形作る各要素がそれぞれに魅力的な作品で、非常に語り甲斐のあるアニメだが、今回は本作についてある程度俯瞰をした感想というか、これまでのエピソードのまとめといった趣で、アレやコレやと語ってみたい。
 
 

■「いなり、こんこん、恋いろは。」の中学生感覚と「中学生日記

いなり、こんこん、恋いろは。」は、そのポップなBGMや色彩、可愛らしいキャラクターに対して、そのストーリー展開に"重い"要素を孕んだ作品だ。その"重さ"というのは、主人公であるいなり達の中学生らしいセンシティヴな感性を因子するところが大きいように思う。
 

 
このアニメに登場をする少女達は、その年齢相応の非常に繊細で傷つきやすいキャラクターとして描かれている。そして、その一方で他者を思い遣る気持ちや優しさを持ち合わせている娘達で、それ故に相手との気持ちのすれ違いを起こしてしまったり、自分のことを深く見つめすぎてしまった結果、自己嫌悪を起こし落ち込んだり…と心理面で悪循環に陥ってしまうことが多い。
 
この辺りの心の不安定さというのは、気持ちが移ろいやすく、そして、多感な時期でもあるミドルティーンの少女達の姿を描いた、一種の写実性のある描写だなと思う。中学生の心理をテーマを現実味を持って描くという点では、例えば中学生日記」なんかを彷彿とさせる時もあるし、「いなり、こんこん、恋いろは。」は神様が登場をする伝奇的なモチーフを絡めた恋愛モノではあるけれど、個人的には「ファンタジーの要素のある『中学生日記』」というドラマの受け取り方が非常にシックリくる。リリカルでエモーショナル。そして、重くてメンド臭い。そんな誰しもが通ってきた"中学時代"の感性を的確に捉えた作品だな、と感じるのだ。
 

 
そんな中学生らしい感受性や思考力というのは、劇中で実際に中学校に通っているいなり達だけではなく、その周囲にいるキャラクターにも見受けられる。いなりの兄である燈日は高校生ではあるけれど、そのものズバリ"中二病"の患者であるし、"うか様"こと宇迦之御魂神は神様というエイジレスな存在なれど、乙女ゲームを愛する無邪気な女性という非常に少女的な感性や嗜好を残したキャラクターとして描かれている。だから、燈日もうか様も、いなり達と同様に相手を思い遣りすぎて、気を遣い過ぎて、コミュニケーション不全を起こし、かえって人間関係やトラブルを大きくしてしまう。
 
このアニメで起こる事件というのは、10代の頃に誰しもが経験をした出来事に端を発していることが多い。例えば、友達同士のグループに新しい人間が入ってくる時、その中で新たな人間関係を築いていく難しさ。例えば、好きな相手に自分の好意を素直に伝えきれないもどかしさ。一人よがりな勝手な勘違いをして傷付いてしまった経験。友達に対して気を遣い過ぎたが故に誤解を招いてしまったこと。
 
前述した通り、「いなり、こんこん、恋いろは。」のドラマというのは、いずれも「中学生日記」っぽいなと思う。傷つきやすい青春。そこから生まれるセンチメンタルといじらしさ。そこにある種の懐かしさや郷愁を感じ、いなり達のことを応援するのか、それとも単純に彼女たちのことをメンド臭い人間なのだと切り捨てるのかは、観る人の感性と過去の体験に依るところが大きいように思う。自分の場合は、圧倒的に前者の立場で、故にこのアニメは凄く好きな作品だ。いなりのあの「落ち込みやすいけれど、立ち直るのも早い」ところとか「誰かの為に一生懸命になれる10代特有の青臭さ」は共感が出来るし、素直に応援を出来るな、と。
 
 

■"コミュニケーション"をポジティヴに描く「いなり、こんこん、恋いろは。

そんな思春期まっただ中の中学生のもどかしさと難しさを描いた「いなり、こんこん、恋いろは。」だけど、基本的には人間関係やコミュニケーションを非常にポジティヴに捉え、前向きに描いている作品だなと思う。劇中では、ダウナーな心理状態やギクシャクした人間関係が度々描かれるけれど、そこにそこまで不快感を感じないのは、結末が必ずハッピーエンドで終わるという一種の信頼関係が作品と我々の間で成り立っているからだろう。
 

 
確かに、この作品の中での人間関係はややこしく、コミュニケーション不足がトラブルの原因となることも多い。或いは、登場人物が考え込み過ぎて、深く落ち込み、傷付いてしまうことも。だけど、それらは全て、キチンと相手と話し合うこと、気持ちを相手に素直に伝えること、前向きに頑張ること…で、解決をし、更には各キャラクターが成長を遂げる原動力となっている。
 
墨染さんに憧れていたいなりが、その墨染さんに自身の経験を通して救いの手を差し伸べることができたことや、いなりと同じく墨染さんに強烈なコンプレックスと苦手意識を持っていた丸ちゃんが墨染さんと友達になれたこと、その墨染さんもいなり達と友達になれたことで自身の感情を素直に表に出せるようになるという成長をしている。
 
皆、不完全で相手も自分も傷付けてしまうことが多いが、だからこそ、お互いに手を取り合って共に成長を遂げていく姿が劇中では非常に前向きに描かれている。その視線はどこまでも優しく、それこそがこの物語の登場人物達に欠けている"大人"の視線なのだろう。だからこそ、非常に素直に自分なんかはいなり達の頑張りをピュアに応援することが出来るのだと思うのだ。
 

 
それから、"重い"物語をただただ"重く"見せるのではなく、コミカルな演出やギャグを盛り込んで、息抜きや緊張感の緩和を行っているのも良いのだろう。特に、いなりのあのクルクル変わる表情の数々は良い。美少女の顔を崩すことすら厭わない演出術。この辺のバランス感覚は、脚本や演出の上手さ故だろう。
 
10代の難しい感性をストレートに描きながら、それでいて、決して悲観的になり過ぎることなく、快い爽やかな青春劇としての物語を紡ぐ「いなり、こんこん、恋いろは。」。その丁寧さと真摯さが、本作の大きな魅力なのだろう。