Deafheaven Japan tour 2014 at 新大久保earthdom 5月13日






新大久保earthdomDeafheavenの来日ツアーの初日を観てきた。今回のエントリでは、その感想をアレやコレやと。




■"ポスト・ブラックメタル"の魅惑

"ニューウェーヴ"や"ミクスチャーロック"と呼ばれる様な、異なる音楽ジャンルを融合させて生み出された新しいスタイルの音楽が好きだ。ANTHRAXPublic Enemyの奇跡的な共演によって誕生をした"Bring The Noise"という名曲、自分にとっての"聖典"との出会いに端を発し、多種多様なジャンルの異種姦が生み出すハイブリッドな音楽はいつだって自分を魅了し続けてきた。


そんな自分にとって、今一番ホットなトピックが"ポスト・ブラックメタル"だ。シューゲイザーポスト・ロックといった浮揚感のある美しいメロディーにブラックメタルの攻撃性をミックスさせたニュータイプのメタル・ミュージック。そんなシーンの中心的バンドであるDeafheavenが来日公演を行うという。昨年リリースされた大傑作アルバム"sunbather"をようやく今年になって購入をし、その素晴らしい音像にノックアウトをされた人間としては、これは見逃してなるものか! と初日の新大久保earthdomのチケットを購入したのだった。


ポスト・ブラックメタルを象徴するアーティストとしてDeafheavenと並び立っていた、フランスのAlcestが今年リリースされたアルバム"Shelter"で、ブラックメタルというジャンルを超越した優れたポップ・ミュージックをクリエイトするバンドへと進化を果たした2014年。果たして、Deafheavenは如何様なライヴを見せてくれるのか? とドキドキしながら会場へと向かったのだが、結論から言うと生で観るDeafheavenのステージはAlcestの音楽的な進化、深化とは大きく方向性の異なる、非常にハードコアなものであった。




■アルバムよりもグッと肉感的なDeafheavenのステージング

何はなくとも、とにかく音がラウドでひたすらにけたたましい。ブラスト一歩手前の強烈なドラムは常に低音を轟かし、ギターはノイジーで浮遊性のあるメロディーをスピーカーからブチかまし続ける。1st.の"Roads to Judah"でこの世に生み落とされ、"sunbather"で完成をされた、甘美で温かみのあるメロディー…アルバムで聴くことの出来るサウンドよりも、グッともっとアクティヴな音塊に先ずはやられてしまった。そんなバンドのステージングを象徴をするのが、Vo.であるジョージ・クラークの存在だろう。


ステージから幾度となく、オーディエンスに向けて手を伸ばし、向けられた手を力強く掴み、マイクを握ったまま客席に飛び込んではクラウドサーフィンの波に乗り、フロアの上空から金切声を上げる。確かに、シューゲやポストロック的な音楽性を内包したサウンドではあるけれど、それらの音楽が持つ内省的な質感はステージからはほとんど感じられない。代わりに存在をしているのは、ひたすらにアグレッションに満ちた圧倒的なテンションのエネルギーである。


"ポスト・ブラックメタル"の"ブラックメタル"の要素のみを抽出したかの様なハードコアなステージング。故に、フロアでも自然発生的にモッシュが巻き起こるし、人が人の頭上を転がっていく。ジョージ・クラークは積極的にオーディエンスとの肉体的な接触を試み、その熱量に観客も全力で答える。言わば、ヴォーカルとオーディエンスのガチンコ勝負。天井が低く、密度の高い新大久保earthdomというシチュエーションも相まってか、その熱狂的な空間は非常にエキサイティングなものだった。


"5ピース"という編成も、このバンドがライヴを行う上で非常にフィットをしているのだろう。例えば、My Bloody Valentineのフロントマンであるケヴィン・シールズに代表をされる様にシューゲやポストロックのバンドは、Vo.がリードギターを兼任している場合が多い。しかしながら、Deafheavenの場合はメロディーとギターノイズを二人のギタリストに任せ、Vo.のジョージ・クラークは歌うことと絶叫することに専念をしている。故に、そのヴォーカルスタイルは非常に肉感的であり、多動的であり、とにもかくにもエモーショナルだ。


特異なメロディーも手伝って、宗教的な高揚感すら感じられるステージングをクリエイトするジョージ・クラークのカリスマ性のある佇まいに目を奪われがちだが、他のメンバーのルックスもまた、良い。全員が短髪で、如何にも米国のインディーロックバンドらしいラフなTシャツ姿で、所謂"長髪、髭面"なメタルバンド然とした佇まいとは180度趣を異にする。サウンドと同様にルックスも、メタル特有の"様式美"とは距離を置いたデザインになっていて、その辺りにも自分はこのバンドの強みと独特の色気を感じたのだった。


一方で、そんなバンドのサウンドを聴く為に集ったオーディエンスを見てみれば、TESTAMENTのTシャツを着たメタルファンもいれば、スキンヘッドのパンクスもいるし、インディーロックファンっぽいカジュアルな格好の若者もいる…という異種混合な客層となっており、そこからもジャンルレスでオルタナティヴなバンドのサウンドの本質が感じられた。




■Deafheavenのライヴ…本当に素晴らしかった…!

ステージ上では強烈なフィードバックノイズが常に放出され、曲間に極々シンプルなMCはあるものの、ノイズとノイズが曲間を繋ぎ留め、各楽曲がほぼシームレスに進行をしていく。この辺りは、彼らのアルバムの特徴でもあったが、それがライヴという生物の表現でも再現をされており、その構成は強烈なオリジナリティーにも繋がっている様に感じた。その特徴的な音楽的なスタイル故に、演奏中は歌っている時間よりもVo.無しでバンドがメロディーとノイズ、それから強烈なドラムのビートをぶっ放している時間の方が長いのだけれど…ここでも目を惹き付けられるのは、やはりジョージ・クラークの存在感だ。全身で躍動し、ヴォーカリストとしてだけではなく、フィジカルでシアトリカルなパフォーマーとして、その身体をオーディエンスにぶつけていく。イントロもアウトロも間奏も、このヴォーカリストにとっては決して"休憩時間"ではない。常に臨戦態勢。バンドと共に、闘い続けているのだ。


Deafheavenのサウンドは、ライヴで観ると圧倒的なまでにハードコアであり、どこまでも肉感的だった。それでも、鳥肌が立つような攻撃性と凶暴性に加えて、涙が出る様な多幸感を感じることが出来るのは、やはり、そのメロディーの良さ故ということになるのだろう。


とにもかくにも素晴らしい、本当に感動的なステージだった。あんなに素晴らしいパフォーマンスとサウンドを新大久保earthdomの至近距離で目撃できたことを、自分は本当に幸福に思う。


<Deafheaven / Sunbather>