2014年のテレビアニメ作品における"メンド臭さ"と"優しさ"について






最近、テレビアニメを観ていてふと思ったアレやコレやでエントリを簡易更新。




■「僕らはみんな河合荘」を観て

先日、最終回を迎えた僕らはみんな河合荘が非常に良くてですね…この作品が何がどう良かったかというのは、後ほど、ジックリと個別に感想を書きたいと思うんですが、とにかくこのアニメを観ていて一番印象に残ったのが、各キャラクターのメンド臭さ! 「河合荘」は、とにもかくにも強烈なキャラクターを持った登場人物達が次々に出てくるアニメ作品なんですが、皆が皆、それぞれにメンド臭い! そんな人達に主人公の宇佐君が振り回され続ける…という描写が、このアニメのコメディの主軸になっています。


また、各キャラクターの性格や人間性というのが、これがまた妙に生々しい。特に、人付き合いが苦手で、かといってそこに後ろめたさを感じるでもなく、自身の価値観や美意識を確立させ"ぼっち"も気にせず唯我独尊の道を行くクールなヒロイン、"律っちゃん"こと河合律が物語の中を生きるフィーリングなんかは、彼女の様な"ある特定の人々"にとっては思わず「あ〜、それ凄い分かる、分かる!」と共感必至なものではないかと思います。


そして、「僕らはみんな河合荘」の素晴らしいところは、そんな登場人物達の価値観や生き様を否定せず、その生き様を優しく肯定してくれるところなのではないかと思うのです。ちょっと"痛く"て、かなり"残念"なキャラクターがストーリーと笑いを紡いでいく作品ですから、ブラックだったり毒の効いたギャグもありますが、その口当たりは不思議と爽やかです。それっていうのは、こういうメンド臭い人達を見守る"優しさ"に依るところが大きいのではないかなと私は思うんです。




■「河合荘」に繋がる「いなり、こんこん、恋いろは。

そういった感覚で今年のアニメ作品を振り返ってみれば(もう、上半期が…半年が終わろうとしているのです。ホントに早いですね…)、「僕らはみんな河合荘」の前にいなり、こんこん、恋いろは。があったというのは、自分の中では凄く象徴的で、あのアニメも登場人物達の大半が中学生という微妙で難しい年頃の少年少女だったが故に、しばしばそのコミュニケーションにコンフリクトを巻き起こす物語でした。





「いなこん」の場合は、登場人物達が皆、良い人達ばかりだから、お互いがお互いを必要以上に慮って…気を遣い過ぎて、余計に事態をややこしくしてしまったり、誤解を招いてしまう、これまたセンシティヴな感性や内面の弱さを持って生きている人間にとっては、胸に迫るというか普遍性のあるテーマを描いた作品だったと思うんです。


ただ、「いなこん」の場合も、やはり作品の根幹には優しさが満ち溢れているというか、例え、誤解によってすれ違いを起こしても、衝突をしても、最後はちゃんと話し合えばお互いに分かり合えるのだ、という人生を肯定してくれる様なストーリーになっている。


だから、自分の中で今年に入って「いなり、こんこん、恋いろは。」と「僕らはみんな河合荘」というメンド臭いんだけど優しいアニメ作品が続けて放映をされたというのは、凄く興味深くて、なおかつ私的な意味付けを行いたくなる流れで。流石にこれが今のトレンドであるとか流行であるなんて言いませんが、「いなこん」には「例え、他者と衝突を起こしても、ちゃんと話し合えば分かり合えるし、問題は解決する」というポジティヴなメッセージ性があるし、「河合荘」には「マジョリティーの価値観に迎合出来なくとも、そんな貴方のことを理解してくれる他者はいるのだ」という前向きなストーリーが綴られていく。




■まとめ…と"メンド臭い"あの娘の話

登場人物達の"メンド臭さ"や"痛さ"を露悪的に描くのではなく、優しい目線で、そんな人々の不器用な生き様を肯定してあげる…というのが、「いなこん」と「河合荘」という二つのアニメ作品の大きな共通点なのではないかと私は思います。


そして、そんな2014年のテレビアニメ界において、現在進行形でその"メンド臭さ"を発揮しているのがハピネスチャージプリキュア!の"ひめ"ことキュアプリンセスではないかと思います。





果てしなくネガティヴな物の考え方にトコトン、後ろ向きな思考。そして、圧倒的な打たれ弱さ。でも、そんな彼女を支えてくれる仲間がいるというのが、「ハピネスチャージプリキュア!」の優しさなんじゃないかな、と。


そんなこんなで、"メンド臭さ"と"優しさ"をキーワードに私の中で一続きになっている2014年のアニメ作品にまつわるお話を。これも、一つの時代性…だったりするのかな。