漫画、アニメにおける、他文化からの引用について考える。

tunderealrovski2009-01-13

 
「COMIC PLUM」という成年漫画雑誌に掲載されていた睦先生の「プラネタリウム」という漫画に、パンク・ミュージックのサブジャンルの中でも特にマニアックな音楽であるサイコビリーのモチーフが何故か多用されていまして、イチエロ漫画好き、イチ音楽好きとしてコレは見逃せぬ! とばかりに以下のエントリを書きました。
 
■睦「プラネタリウム」に見る、マニアックなセンスの表現の場としてのエロ漫画
 
で、ここでいただいたコメントが凄くおもしろくてですね。色々と考えさせられたので紹介をしたいと思います。
 

『エロ漫画からサイコビリーを見付けだすのは面白い視点に思ったのですけど
単に登場キャラが着ているTシャツにバンド名が、て…これだけなら深くもなんともないですよ。
いわゆる「俺こういうの知ってんだぜ」的な、漫画内の小物や台詞回しから趣味を覗かせるというのはただの衒学でしかないですよ。
エロ漫画でなくとも一般的にやられてますし。あまり多くみかけないのはそれがスノッブ臭いからであって
マニアックな、マイナーなものを「知っているだけなら小学生でも知っている」からですよ。』

 
成る程、確かに映画や音楽といった他の表現分野のアイテムを作品に登場させたり、固有名詞を引用するといった表現は、エロ漫画だけではなく、「ジョジョの奇妙な冒険」から「苺ましまろ」に到るまで、一般誌に連載されている漫画でもよく目にする表現です。
 
ただ、エロ漫画の場合は、一般の漫画やアニメで引用される作品よりも、ホラー映画やパンク・ミュージックのように、よりマニアックな作品、文化が対象になっているように感じます。
それは時に、映画や音楽のようなサブカルチャーであり、時にロリコンやSMのようなマイノリティな性であったりするわけです。
 
ですので、エロ漫画でネタにされているカウンターカルチャーの数々に、エロ漫画という表現分野に脈々と流れる、反骨精神、アンダーグラウンドな空気といった共通項を見出すことができるのではないか、と私は考えています。
 
 
と、ここで思ったのは、どうしてこうした他文化の引用が、漫画やアニメの世界で度々行われるか、ということです。
 
例えば、「プラネタリウム」における、可愛らしい美少女とサイコビリーというマニアックなジャンルの音楽の組み合わせは確かにおもしろい。おもしろいのですが、エロ漫画という表現分野で必要なのは、あくまで美少女です。極論をいえば、その他の要素はオマケにしか過ぎません。
わざわざ、登場人物のTシャツにマニアックなバンドのロゴを描いたり、読者の知識にないかもしれないファッション、ヘアスタイルを持ち込む必然性はないハズです。しかも、パンクなんかのカウンター・カルチャーを扱う場合、そこにはイデオロギーが発生するわけで、なかなかにややこしい。
 
以前、石原まこちん先生の傑作コメディ「THE3名様」に出てきた音楽ネタをまとめたことがあったのですが、まこちん先生、登場人物や背景はあの独特なタッチで描いているのに、メタルTシャツに描かれたバンドロゴは非常に正確に描いているんですよ。VENOMの様な割りと複雑な形状のロゴでも、キチンと再現してあります。
そりゃ、メタルが好きなキャラクターの特徴を出すための表現でしょうし、何より作者である石原先生のメタルが好きで好きでたまらない気持ちが溢れ出しちゃっているのかもしれませんが、何もこんなメンド臭いことワザワザやらなくても…。と思ったりするわけです。
 
こうした他文化からの引用は、アニメや漫画のような表現分野に、どのような効果を与えるのでしょうか? 以下、自分なりに考え、思ったことを書き出していこうと思います。
 
 

■物語の中の世界観、キャラクターに深みを持たせる。

まず、思いついたのがコレ。作品の中に、音楽や映画のアイテムを持ち込むことによって、物語が進行する世界の文化圏や、登場人物のキャラクターに奥行きを持たせる、というものです。
これを最も効果的に行っている作品が、ばらスィー先生の「苺ましまろ」ですね。
苺ましまろ(1) (電撃コミックス)

苺ましまろ(1) (電撃コミックス)

この物語で、主人公達が過ごす空間はロック・ミュージックやテクノに関するアイテムやキーワードで溢れています。
読者である我々は、出てくるアイテムやキーワードを目にし、そこから登場人物たちの趣味や嗜好、センスを理解し、そこから作品の中では直接描かれない物語のサイドに各々思いを馳せるのです。
また、特定のアイテムを持ち込むことによって、キャラクターを「立たせる」効果もあります。
苺ましまろ」でいえば、洋楽の知識が豊富な伊藤姉妹と、そうした文化に疎い美羽ちゃんの対比は、それだけでギャグになっていて、とてもおもしろい。また、そうしたセンスの有無が、そのままキャラクターの象徴になっているわけですね。
こうした引用のお陰で、「苺ましまろ」は、主人公の自室で行われる密室劇が基本にも関わらず、物語は大きな広がりを有しているように我々は感じるわけです。
最近だと、テレビアニメ「魔法遣いに大切なこと〜夏のソラ〜」が、こうした引用を非常に有効に使用していた作品だったと思います。
 
 

■ストーリー自体に深みを与える。

キャラクターや世界観だけでなく、ストーリーにも影響を与える場合です。
例えば、花沢健吾先生の「ボーイズ・オン・ザ・ラン」で、主人公の部屋に貼られたマーティン・スコセッシの「TAXI DRIVER」のポスターは、ストーリーの中で非常に象徴的な意味を持ち得ます。
ボーイズ・オン・ザ・ラン 1 (ビッグコミックス)

ボーイズ・オン・ザ・ラン 1 (ビッグコミックス)

引用された映画のストーリーや楽曲の歌詞、ジャケット、それら全てが、物語の中で何らかの意味を持つわけです。
それは物語の行く末の暗示であったり、登場人物の内面の心理描写であったり、あるいは物語に直接作用するものです。
アイテムやキーワードに対して、単純にセンス、ナンセンス以上の意味があるわけですね。
 
 

■単純に固有名詞やサブタイトルを考えるのが楽。

これに関しては自分の妄想なんですけど、例えば超能力や魔法の名前が音楽関連の名前から取られていたり、キャラクターの名前が全部映画からとられている漫画ってありますよね?
アレって、中にはイチから固有名詞とかを考える手間が省けるから、っていう理由で使用されてる例もあると思うんですよ。…あくまで「自分の妄想」ですし「中には」ですよ…?
ファンタジーやSFなんかの用語をイチから考える、それも長期連載なんかでそうした固有名詞が沢山出てきた場合、これはなかなかの重労働です。
そうした場合に、自身の知識から名詞を引用することは、作業の負担を軽減させ、また世界観に統一感をもたせる効果もあります。
いずれにしろ、引用元のジャンルへの、深い知識と愛情が必要になるので、私みたいな凡人にはマネできそうでできないテクニックだと思います(マネしたら確実に「中二病」って言われます)。
  
 

■読者と作者のコミュニケーションの手段。

結局、今まで語ってきた用法も、全てはここに集約されるのかな、と思うのですが…。
作者が、自身の趣味や嗜好の対象であるアイテムやキーワードを作品の中に落とし込むことによって、作品の受け手との間でコミュニケーションを行う場合です。
漫画を読んでいて、あるいはアニメを見ていて、作中に忍ばせたメッセージを受け取り「おぉっ! 作者さんは、この映画(音楽)好きなんだ! 俺も、好きだぜ!」と魂を震わせた経験は、誰しもが一度はあると思います。
私のような作品の受け手にとって、作り手というのは雲の上の存在であり、そんな方と趣味の波長があったと思うのは(例え、自分勝手な思い込みでも)、単純に嬉しいものです。
 
これは、確かに「知識のひけらかし」や「自分語り」に過ぎないのかもしれません。ただ、私には、こうした表現を、「スノッブ」だと評価することは絶対にできないんですよ。
こうしたコミュニケーションは、その対象がマニアックであればある程、当人たちにとっては非常に切実だからです。
 
かくいう私も、高校生時代に80年代のイギリスにおけるニューウェーヴ・ミュージックにドップリとハマるも、人見知りな上に、田舎に住んでいたため、周囲に同じ趣味を持つ人が全くおらず、
 
「もしかして、こんな変な音楽を聴いているのって、世界で俺だけなんじゃ…。」
 
という、実に思春期的な妄想に不安を掻き立てられ、毎日布団の中でGANG OF FOURを聴きながら身悶えする、かなり恥ずかしい高校生だったのですが、ある日たまたま古本屋で手にした江口寿史の漫画「ストップ!! ひばりくん!」にPublic Image Ltd.のバンドロゴが入ったTシャツを着たモブキャラが描かれているのを目にし、
 
「俺は、一人じゃないんだぁ!」
 
と、勇気をもらった経験があるので、こういうマニアックな文化情報の送受信の有り難味を、身をもって知っているつもりなんです。あぁ、恥ずかしい! でも、あの経験があったお陰で、自分は未だに音楽を聴き続けていられる、という思いがあります。恥ずかしいけど、恥ずかしくないっ!
 
 

■まとめみたいなもの

こうした引用、モチーフの数々は、元ネタを探すだけでも楽しいものです。
 
また、そこを起点として、自分の趣味や知識の幅が広がり、新たな作品との出会いとなることもあります。
 
映画や音楽の知識って「知っている」だけじゃ人間の心はなかなか満たされないです。そこで、他者と知っていることを「語る」ことを欲します。ただ、その人の人格や環境によって、「語る」難易度は高くなりします。趣味がマニアックであればある程、更にハードルは高くなったりします。
 
そんな時、自分の好きな漫画やアニメ…まぁ映画でも小説でも何でも良いわけですが…で、作者が自身と同じ趣味について、語り、作品にモチーフとして描いていたとしましょう。
それを目にした時の喜びっていうのは、言葉では表現できなくらい嬉しいものだと思うんです。
 
漫画やアニメを通じて、作者さんがわざわざ手間をかけて描いてくれたメッセージが、どこかで誰かを勇気付けているのかと思うと、僅かですが心が震えます。そして、そういった表現の送り手に対して、畏敬の念を抱かざずにはいられないのです。
 
何よりも、作者さんが好きで好きでたまらないものが溢れ出しちゃって、出てきた表現って、凄く素敵じゃないですか?