エロ同人誌考―あるいはパロディーと接するということ

tunderealrovski2008-07-14



少し前に おたくは何でエロ同人誌を買いますか!?というエントリーを書きました。


ありがたいことに、いくつかの有名ニュースサイトにこのエントリーを取り上げていただき、日記のコメント欄にも予想以上の反響をもらうことができました。
コメントの一つ一つを大変興味深く読ませていただいたのですが、そこでの反応を見ているとアニメ、漫画のファン…大きなくくりでの「おたく」のエロパロとの接し方は人それぞれ。おたくが百人居れば、百通りのスタンスがあるということがよ〜く分かりました。
今考えれば、「おたく=エロパロを好む」っていう視点から思考が出発していたのは少々強引でしたね。
ただ、そんな様々なスタンスがある中で、おたくとエロ同人誌との接し方って、大きく分けて3つのパターンに分類することができるのではないかと思うんですよ。




■其の1.エロパロ全肯定型
これは「とにかく、エロパロが大好き!」ってタイプですね。
自分の好きな作品やキャラクターがパロディーの対象になっていても許容ができて、生理的な嫌悪感を感じないタイプ。
前のエントリーで斉藤環さんの著書から引用したところの、

「極端な話、「〜ちゃん萌え」と言って「抜い」ておきながらも、その作品やキャラクターを完全に突き放した視点に立つことが同時にできなければ、おたくなんてやってられないわけです。つまり、すごく熱中して作品を楽しんだり語ったりする側面も当然あるわけですけど、同時にある別の側面では完全に醒めているような状態といいますか。自分の好きな作品をあれこれいじれてこそおたくなわけで、作品を神聖化して奉ってしまったら、それはたんなるマニアとかファンに堕落してしまうんでしょうね。」

という視点に立つことができる器用な人。あるいは、そもそも「同人」というジャンルが好きな人達なんだと思います。
「かがみん萌え〜」って言っておきながら、コミケで「こな×かが本は全部買い〜!」という漢義を見せることができる人です。このタイプの人たちは総じて、おたくとして「濃い」方々が多い気がするのですが、どうでしょう?




■其の2.エロパロ一部肯定型
「自分の好きなキャラクターが陵辱の対象にされてるのは許せない!」と作品やキャラクターを神聖視して考える一方で、自分が知らない漫画やアニメのエロパロ同人誌を「好きな漫画家が描いてるから」とか「サークルのファンだから」って理由で買っちゃうタイプ。
「可愛い女の子が見たい!」という単純な動機で同人誌に触れることが多いです。早い話が「ただ単にエロい人」です。僕、ここですね(笑)。
自分の好きな作品に関しては神聖化し、「『スケッチブック』とか『ひだまりスケッチ』のエロパロなんざ見たくもないし、そんなの描いてるヤツは許せねぇ!」という妙に硬派なところがあるんですが、オノメシン先生とか好きで、 フリークスの同人誌、とらのあなで委託がある度に、通販で買っちゃうんですよね…。
「自分の好きな作品やキャラをエロパロにするのはNGだけど、それ以外だったらOK」という人は結構多いんじゃないでしょうか。前のエントリーのコメント欄に書き込まれたコメントを一部引用させていただきます。

グレンラガンとかヨーコについて「けしからん、けしからんw」とか「うら若い生徒を無意識に悩ましてるヨマコ先生」ネタとかでニヤニヤしてましたが、それがいざエロ同人誌として上がってきたら、好きな作家でも敬遠します。レイプだろが淫乱だろうがカミナとのラブラブだろうがノーサンキュー。別にヨーコはオレの嫁とか萌えとか言いませんが、なんつーか受けつけない。この手の感情は少年漫画系ジャンルのほとんどで言えますね。ただ、ToLoveるとかいちご100%とか「作品として最初からセックスアピールしまくってる」ものはぜんぜん抵抗なし。

本当に好きな作品のエロ同人誌は買わないけど、それほど好きでもないが割と好きな作品のエロ同人誌は買うとか、そういう萌え用(神聖視)の作品とエロ用の作品を分けてる人も多いんだと思う。それをオタク市場全体で見るとごっちゃに見えるから萌えとエロが両立してるように見えるんじゃないかな。

「萌え用(神聖視)の作品とエロ用の作品を分けてる」っていう表現は凄く的確ではないでしょうか? 実は、おたくに一番多いのは、このタイプだと僕は思うんですけど、どうでしょう?




■其の3.エロパロ全否定型
「エロパロ全肯定型」とは真逆で、作品を絶対神聖化し「長門や、こなたが陵辱の対象になっているなんて許せない!」と考えているタイプ。
作品を神聖化しているので、エロでなくとも自分の美意識に合わないパロディー(例えば「涼宮ハルヒの憂鬱」のキャラクターを「バキ」のタッチで描いたギャグ本とか、子ども向けアニメをブラックな内容に書き換えたものだとか)も全否定します。
こちらも、「おたく」としては、なかなかに「濃い」人たちが多い気がします。




■同人誌に重要なのは文脈? 世界観?
コメント欄の書き込みで、おもしろかったのが「作品の文脈」っていう言葉が出てきたことです。

俺が「好きな作品が汚された」と感じるのは、原作の基本的な設定が大幅に無視された時です。
作品の文脈に従うならば、エロだろうがグロだろうが好きにやったら良いと思います。

自分は好きな原作の二次エロは、グロも含めて嫌いではないですが
キャラクターの顔をわざと不細工に書く表現の同人(ギャグモノが多いです)は嫌いなので読みません
が、そういう本も楽しんで読んでる人は沢山います

なんで嫌いなんだろうと言われても、そういう表現が嫌いとしか言えないです
前の方に書いてる方もいますが、作品毎に自分の中での「作品の文脈」があり
自分の中にある「作品の文脈」を外れると面白くなくなるんでしょう

作品には、ストーリーがあり、そこに登場するキャラクターには性格、行動パターンが「設定」として存在しています。
同人誌の中で、そうした文脈を用いて、物語やキャラクターを遊ばせるのはOKでも、そうした文脈から外れてしまうと、自分の嗜好からは外れてしまう…。
強引に3つのタイプに分けておいて何ですが、う〜ん、おたくと同人の関係っていうのは、結構複雑ですね〜。




■ロックにおけるパロディーとは?
少し話題を変えて、アニメや漫画以外のパロディーの話をしましょう。僕はロック・ミュージックが好きなので、ロックの話をさせてもらいます。
ロックの世界はパロディーが許容された世界です。例えば、ビートルズのパロディー・バンドなんて、上はThe Monkeesから、The Punkles、The Rutles、下はずうとるびまで(つったら、山田隆夫に失礼か…)、山ほどいますし、ヒップ・ホップ、ハウスの世界では「サンプリング」という名のある種のパロディーと言える文化によって音楽そのものが成り立っています。
僕の好きなバンドでアメリカのDEVOというバンドがいます。このバンドは、The Rolling Stonesの「Satisfaction」という曲をカヴァーしました。


DEVO / Satisfaction



ご覧の通り、DEVOは元の楽曲を完全に解体しています。ストーンズのロックは、すでに旧世代のロックということで、完膚なきまでにコケにし、全く異なる楽曲と言うことで再構成をしたのです。彼らの活動は旧来の「ロック」とは違う「新しい波=ニュー・ウェーヴ」と呼ばれ、ロックの歴史に新しい表現法を打ち出していくこととなります。
DEVOストーンズをコケにしまくった訳ですが、これをロックファンは好意的に受け取りました。ロックの世界でパロディーは比較的寛容に受け止められるのです。
旧来の文脈や体制を破壊する精神性こそがロックの根幹にあるエネルギーなのですから、当然といえば当然の反応でしょうか?




■それに比べて同人誌は複雑だ…でも、おもしろい!
エロパロに限らず、ニコニコ動画のMADや、同人楽曲などなど。
おたく世界のパロディーは、表現方法に関して賛否両論、受け手もかなり複雑な反応が多いと思います。
ロックの世界では、多少ムチャしても「これぞ、ロックだぜ!イェー!」で済んじゃう場合が多いのとは、エライ違いです。
アニメ、漫画など、「文脈」「世界観」がハッキリとしている文化の上に、成り立つジャンルだからこそ、賛否両論が生まれる。
僕は、「ロックの方が自由だから素晴らしい! 文化的に優れてる!」なんてことを言いたいのではありません。これだけ、制約が多い中で、多種多様なパロディーが生まれてくる同人の世界が、興味深くて仕方がないのです。