澤井啓夫の新連載「チャゲチャ」と、週刊少年ジャンプ的なモノ

 

 
ボボボーボ・ボーボボ」の澤井啓夫先生による新連載が始まるということで、数年ぶりに「週刊少年ジャンプ」を購入しました。
 
澤井先生の新作「チャゲチャ」。かなり楽しみにしてたんですけど、コレは…う、う〜ん…。
 
澤井先生のギャグ漫画の持ち味は、まず前フリがあって、その直後に前フリを一切無視して、勢いだけで全く別のベクトルに笑いを派生させるっていうアベコベさにあると個人的には思ってるんですけど、
正直、今回の漫画は第一話を見る限り、ギャグに持っていくまでのフリが余りにも不明確過ぎて、結果的にただ単にシッチャカメッチャカ、支離滅裂なだけ、という印象を受けてしまいました…。どうしちゃったんだろ? 澤井先生…。
 
で、「チャゲチャ」のキャッチコピーは、「マンガの常識? 限界? そんなもんまとめてブッ壊し!! 鬼才降臨! 獲るぜ頂点!!」らしく、何だかなぁ…。飛ばすなぁ、週刊少年ジャンプは。
 
澤井先生の凄いところって、「ボーボボ」で顕著なように、その卓越したパロディー・センスにあると思っているんですよ。
チャゲチャ」は第一話を読んだ限りでは、まだパロディー的な要素は皆無なんで、その辺が表面化してくれば、持ち直しはあると思うんですけど…。
 
 
週刊少年ジャンプと「ボボボーボ・ボーボボ

ボボボーボ・ボーボボ (1) (ジャンプ・コミックス)

ボボボーボ・ボーボボ (1) (ジャンプ・コミックス)

ボボボーボ・ボーボボ」は、澤井啓夫という漫画家のパロディー・センスが奇跡的に開花した作品です。
澤井先生は超がつくほどのジャンプっ子で、自身が愛する「ジャンプ的な世界観」をギャグ漫画の中で再現しようと試みた結果、とんでもなく歪でアンバランスなモノが出来上がってしまった、というのが「ボーボボ」の画期的なトコロだったと、今になって思うのです。
 
例えば、
 
・ボスクラスのキャラクターは、ダメージに応じて変態していくが、最終形態で物凄くカッコ悪い姿になる。
・主人公たちは劇中でパワーアップしていくが、その力のインフレすらもギャグにする。*1
・倒した敵は仲間になっていくが、大抵役立たずのギャグ要因。*2

 
といった辺りの「ボーボボ」お決まりのギャグの数々は、そのまま「ドラゴン・ボール」を始めとする「週刊少年ジャンプのバトルもの漫画のお約束」のパロディーになっており、そこに「週刊少年ジャンプ的なモノ」への優れた批評性を見出してしまうのは僕だけでしょうか?
 
こうした、(今、思うと)アクの強いパロディーを、全く計算せずに「天然」でやってしまっていたのが、澤井啓夫という漫画家の凄まじさ、怖さなのです。
 
本人はあくまで「週刊少年ジャンプ的なノリ」を描こうとしていたハズなのに、出来上がった作品は反対に「週刊少年ジャンプ的なノリ」のアンチになっていたわけです。アベコベなわけです。
 
週刊少年ジャンプで現在連載されている漫画の多くが、やはり「週刊少年ジャンプ的なモノ」に捕らわれているバトルものばかりなので、澤井先生には「ボーボボ」の時のようなパロディー精神をモロに発揮してもらって、その辺の流れを収束してもらいたいのですが…。
 
 
■反「週刊少年ジャンプ的なモノ」として機能する「金剛番長
 
で、今現在連載されている漫画の中で「週刊少年ジャンプ的なモノ」への優れたパロディー、批評として機能しているのは、「週刊少年サンデー」連載の「金剛番長」ではないかと思ったり。
金剛番長 1 (少年サンデーコミックス)

金剛番長 1 (少年サンデーコミックス)

作者である鈴木央先生は週刊少年ジャンプの出身ですが、あからさまな「魁!!男塾」へのオマージュでありながら、「ギャグ」と「少年漫画らしいカッコ良さ」の絶妙なバランスが素晴らしい!
こうした漫画が、ジャンプではなくサンデーから出てきたというトコロに時代の流れを感じます。



 

 

 

*1:連載終盤になると、パワーアップした主人公によって、敵がコマとコマの間で倒される、といったカオスなギャグが極々当たり前に描かれる。

*2:例えば田楽マンとか、田楽マンとか、あと田楽マン。もうちょっと具体的に言うと、アニメ版で金田朋子が演じたアイツ。