鬼束直「Scar tissue」 - 少女の背景に流れる音楽のエモーション

tunderealrovski2009-03-29

 
「COMIC LO」3月号に掲載された鬼束直先生の「Scar tissue」という作品が大変素晴らしく、感想を書きたい書きたいなんて思っていたのですが、「いや、せっかく書くんだったら、この漫画家さんの文脈をキッチリ押さえてからにしよう!」なんて、鬼束先生の単行本を集め始め、過去の作品を読んでいたら、漫画の掲載から随分時間が経ってしまいました。
 
にも関わらず、鬼束直という漫画家の作品の中でも「Scar tissue」が、かなり特異な位置づけにあり、特別な魅力を放っている、という意識は、自分の中でより一層強まっています。「Scar tissue」という作品が、なぜこんなにも自分の心を打つのか? 自分なりに考えた鬼束作品の魅力や漫画の特徴を含めて、この作品について、改めて考えてみたいと思います。
 
 

■少女の身体は汚れているのか? 「Scar tissue」

「Scar tissue」は、年上の男性相手に援助交際をする少女の話です。
どうして、こんなことをしているの? という、客からの問いかけ(身体を買っておいて「どうして?」もないと思いますが…)に、少女はあっけらかんとこう答えます。
  

 
「やっぱり お小遣い欲しいじゃ ないですか」
お金と引き換えに身体を売る、少女の心は、肉体は、本当に穢れ汚れてしまっているのでしょうか?
 
この漫画の中で、少女を「買う」男性の表情は、徹底的に排除されます。
 

 
エゴイスティックな情動に突き動かされたその姿が、余にも醜すぎるので見るに耐えないからでしょうか、それとも、「嘘」で身を固めることで自己を守ろうとする少女の瞳は、最初からその姿を映そうとはしないからでしょうか?
解釈は人それぞれでしょうが、表情がない無機質な男性性の前で、過剰に「少女」であろうとする主人公の姿が何とも痛々しい。語尾に付けられたハートマークが、金でやり取りされる肉体関係の空虚さを引き立てます。
 

 
「ありがとう」なんて言葉は嘘、笑顔も嘘、お小遣いが欲しいなんて嘘、気持ちいいなんて嘘。
 
全部、嘘。
 

 
ラストシーンで、少女が自分の身体を売る目的を知った時、彼女がこの漫画の中で唯一「嘘」ではなく「本当」のことを言った時、物語は我々読み手の心に暗い影を落とします。
 
本当に汚れているのは誰なのか? 少女は果して、幸せになれたのか?
何とも言えない、エモーションを読み手に与え、物語は幕を閉じるのです。
 
 

鬼束直が描く、楽観的な少女像

この漫画だけ読むと、「鬼束直」という漫画家は、少女嗜好が持つ痛々しさや背徳感を描く漫画家さんなのかなぁ、と思われるかもしれませんが、他の作品では「Scar tissue」が持つ暗いエモーションの要素はほとんど見当たりません。
むしろ、鬼束直先生の漫画を支え、作品の根底に流れているのは、非常に楽観的な少女観、性愛観だと言っていいと思います。
 
例えば、鬼束先生の二冊目の作品集である単行本、「ワン ホット ミニット」
 

 
この作品の目次のページには、小さくこんな言葉が書かれています。
 

お兄ちゃん、これはマンガだよ。年齢設定とか、ぜ〜んぶ空想なんだから、本気にしたら笑われちゃうよ。

 
この一文、多少の自虐的なアイロニーも感じますが、恐らくは読み手へ向けた、作者からの底抜けに明るいメッセージと捉えてよいと思います。
フィクションと現実の境界線を少女の言葉を使って語るという、かなりメタな視点から書かれた言葉にも関わらず、読み手がそれをすんなり受け入れてしまう程、鬼束作品に登場する少女の姿は、明るく健康的に描かれているからです。
 

 
私には、鬼束直が描く漫画の中で描かれる少女たちが、ロリコン漫画で描かれる背徳感や禁忌とは、距離を置いた場所に存在しているように感じられます。
 
そして、この作者の基本的な作風、少女観は、「Scar tissue」という作品に流れる寂寥感や空虚感と、強烈な対比になっています。
 
 

■「Scar tissue」というタイトルが持つ意味

「Scar tissue」という作品を読み解く上で、大きな手がかりとなるのが、そのタイトルだと思います。
タイトルは、恐らくRed Hot Chili Peppersのアルバム「Californication」に収録された、同名曲からの引用でしょう。
 
Californication

Californication

 
「Californication」は、Red Hot Chili Peppersという稀代のモンスターバンドの歴史の中でも、非常に重要な意味を持ちえる一枚です。
99年に発表されたこのアルバムは、メンバーの死や、重度の薬物中毒、ギタリストのジョン・フルシアンテの脱退とバンドへの帰還、アメリカのメジャーな音楽シーンにおけるオルタナグランジ・ムーブメントの終焉といった、「Red Hot Chili Peppers」というバンドにおける歴史や、メンバー間での度重なるトラブルとそこからの復活劇、当時の音楽シーンを取り巻く状況など、様々な要素を孕んだ非常に複雑な作品でした。
 
そして、その「Californication」からリードトラックとなったナンバーこそが「Scar tissue」なのです。
 
Red Hot Chili Peppers / Scar tissue(MTV)
 
当時、かなり話題を呼んだ「Scar tissue」のPV。荒野の一本道を、4人の男を乗せた車が走っていきます。男たちはヒドく傷付き、疲れきっているように見えます。男たちは一体、どこに向かおうとしているのでしょうか? 彼らが、ここまでボロボロになりながら立ち向かったのは、一体何だったのでしょうか? 「人生」や「運命」といった抽象的で巨大なものなのか、それとも、もっと具体的な「何か」なのか?
男の一人が、砂埃にまみれながら、ギターを弾きますが、そのネックはヘシ折れています。そして、夕闇が迫る中、車上からそのギターすらも投げ捨てると、4人の男を乗せた車は、再びどこまでも続く真っ直ぐな道を進んでいきます…。
 
それまでの、ハードロックやパンク、ファンクやヒップホップといった様々な音楽要素をミックスした、ファンキーで激しいバンドの音楽性や、パブリックイメージと余りにもかけ離れた、「Scar tissue」のサウンドは、当時かなりの衝撃を持って世間に受け入れられた記憶があります。
 
それまでの明るくファンキーなイメージを覆し、バンドの苦悩や感情を、寂寥感に満ちたサウンドでストレートに表現したのが「Californication」というアルバムです。
そして、今までの少女像から一旦離れて、漫画の中で痛々しい少女の姿を描こうとした鬼束直先生が、「Californication」のリードトラックであり、アルバムの方向性を最も強く象徴している「Scar tissue」という曲からタイトルを引用したことは、文脈として非常に強い必然性があったのだと思います。
 
もちろん、漫画を読むだけでも十二分に楽しめるのですが、鬼束先生が愛聴しているというRed Hot Chili Peppers(単行本「ワン ホット ミニット」のタイトルも、レッチリのアルバムからの引用)が歩んできた変遷、文脈を踏まえた上で漫画に接してみると、そこにはまた、ある種の特別なエモーションが生まれてきます。
 
 

■鬼束漫画における音楽の引用

鬼束直先生は、単行本のカバー裏に書かれたオマケ漫画で、自身の音楽嗜好について語っています。好きなバンドのラインナップを見ると、どうやらメタル〜ミクスチャー系がお好きなようなのですが、1冊目の単行本である「Life Is Peachey?」のオマケ漫画では、収録作品のタイトルのいくつかを、好きなバンドの楽曲から引用したことについて触れています。
 

 
ここでは「頭つかうの苦手」「曲が気にいった」ことを理由に、タイトルを引用したと描いてあります。しかし、鬼束先生の漫画における、こうしたタイトルの付け方は、単なる引用に止まらない、重要な意味付けや、作品にエモーションを加味する役割を担っているように私には感じられます。
 
例えば、1冊目の単行本のタイトルである「Life Is Peachy?」。これは、Kornというアメリカのバンドのアルバムからの引用です。
 
Life Is Peachy

Life Is Peachy

 
アルバムタイトルである「Life Is Peachy」は、直訳すれば「人生は素晴らしい」ですが、不穏なイメージのアートワークが物語るように、このタイトルは、バンド側のアイロニーに満ちた反語です。
鬼束漫画が描く、少女の姿とは相容れない、強烈な悪意に満ちたKornサウンド。鬼束先生は、そのタイトルを引用する際に「Life Is Peachy?」と語尾に敢えてクエスチョンマークを加えます。
私の考え過ぎなのかもしれませんが、この「?」は、オリジナルのアルバムが持っていたアイロニーを更に反語にして、全肯定に変える役割を担っているのではないでしょうか? 肯定文の反語の反語は、一周回って再び肯定文。
 
元ネタにある音楽の文脈をキチンと踏まえ自分なりに整理した上で、アウトプットする際には、自身の作品に最も的確な言葉やタイトルを選び、深いニュアンスを加える。
大好きな音楽に対する、こうした非常に細やかな気の配り方とセンスが発揮されているのも、鬼束作品の魅力の一つだと思います。
 
そして、この絶妙なバランス感覚、エモーショナルな質感が最も色濃く出た作品こそが、「Scar tissue」なのではないかな、なんて私は思うのです。
 
 

■鬼束漫画への素直な感想文

…とまぁ、「Scar tissue」に絡めて、鬼束漫画と音楽について書いてみましたが、そんな音楽の知識なんかなくても、鬼束直先生の漫画は十二分に楽しめます。鬼束先生の描く少女像は、少女に対する性愛嗜好がない人間にも、非常に魅力的に映るのです。
ところが、タイトルの引用に顕著なように、一見すると明るい楽観主義に基づくその世界は、その実、緻密な計算と配慮の上に成り立っています。
 
鬼束直先生の漫画を読んでいると、気がついた時には、いつの間にか物凄い深みにはまってしまい、元いた位置に戻れなくなるじゃないか、なんて気がしてきて怖くなります。
怖い、怖い、でも楽しくて可愛らしい、でもやっぱり自分のような人間には、その明るすぎる世界が逆に怖い。
 
そんな人間を見て、鬼束漫画の少女たちは、微笑を浮かべながら真っ直ぐな瞳でこう言うでしょうね。
 
「これはマンガだよ。ぜ〜んぶ空想なんだから、本気にしたら笑われちゃうよ」
 
 
Crow Left of the Murder

Crow Left of the Murder

「Life Is Peachy?」のオマケ漫画で、鬼束先生がフェイバリットに挙げていたIncubus
ちょっと、曲を聴いてみたら、大変良かったので、思わずアルバムを購入してしまいました。収録作品の元ネタにもなった「Sick Sad Little World」が素晴らしい。
Incubusに対して、勝手にラップメタル、ニューメタルのバンドというイメージを持っていたのですが、実際に聴いてみたら、広義の意味でのアメリカンロックで、かなり魅力的な音でした。何でも、聴かず嫌いじゃなくて、聴いてみるもんですね。
しかし、睦先生の時もそうですが、成年漫画と通して新しいバンドに出会う時代が来るなんて……何ていうかこの辺ってやっぱり多様な文化を孕んでいるんですね。
 
 
<関連エントリ>
■漫画、アニメにおける、他文化からの引用について考える
 
<関連URL>
■糸目少女のかわいらしさへの挑戦。鬼束直「close to you」(たまごまご様)
■鬼束直『Lovable』(ヘドバンしながらエロ漫画!様)