漫画雑誌を買い続けるモチベーションって、作品というよりは雑誌そのものへの愛だよね

 
今回のエントリは、もうタイトルのまんまです。
漫画雑誌を買い続けるモチベーションって、作品というよりは漫画雑誌そのものへの愛だと思うんですよね。
 
 

■そもそも、漫画雑誌を買い始める理由って…。

例えば、一番最初に特定の漫画雑誌を買い始める理由って、大抵の場合はそこに「好きな作品」が載っているからですよね。
それだって、好きな作品が一本とか二本だけで、あとはあんまり興味が持てない、好みじゃない作品ばっかりだったら、買い続けるまでには至らないと思うんです。それだったら、お金のことを考えて単行本でまとめて読むか、リアルタイムで追いかけたいならば立ち読みで済ませてしまえばいい訳ですし。
だから、「漫画雑誌を買い続ける」には、好きな漫画、おもしろそうな漫画がある一定以上の数、その雑誌に載っている必要があると思うんです。
 
極端な話、漫画雑誌を買い始めた時点で、その雑誌に載っている作品群こそが、その人にとっては一つの究極、黄金のラインナップだと言えると思うんですよ。
 
 

■「好きな作品」が終わった時にどうするか?

ただ、漫画には必ず最終回と、最終回を迎えた作品に代わる新連載があります。だから、続けて買っていくうちに、その雑誌の掲載作品はドンドンと入れ替わっていきます。
 
連載が終わってしまった大好きな作品を惜しみつつも、その後に始まった新連載がどれも自分にとって大当たりで、漫画雑誌を毎週(毎月)買うのが楽しみで仕方がない! という幸福な場合もありますが、作品は次々に入れ替わっていくわけですから、それが永遠に続くことはちょっと難しいと思います。
「(自分にとって)好きな作品、楽しい作品が少なくなっちゃったな…」というエアポケットのような期間は、同じ漫画雑誌を買い続けていると、必ずと言っていいほど訪れるハズです。
 
そういう場合にどうするのか?
 
そこでも、同じ漫画雑誌を買い続ける人っていうのは、漫画雑誌そのものへの愛情が芽生えている人だと思うんです。
 
例えば、自分も小学館の「週刊少年サンデー」が好きで毎週買っている人間なんですけど、
 

<週刊少年サンデー42・43合併号 (小学館)>
 
ちょっと前のサンデーっていうのが、自分の中で最高に掲載作品のバランスが好きだったんです。西森博之先生の「お茶にごす。」があって、自分が好きで読んでいた「ハイド&クローサー」や「トラウマイスタ」があって、という。
勿論、現在も続いている作品でおもしろい漫画は沢山あるし、「ジオと黄金と禁じられた魔法」みたいに新連載作品で好きになった漫画もあるんですけど、やっぱり「お茶にごす。」が終わった時に、自分の中で誌面にポッカリ穴が開いてしまった気がして…。
 
でも、じゃあそこで「もう『週刊少年サンデー』を買うのは止めよう。これからは、好きな漫画は単行本で集めよう」っていう風になったかっていうと、そうはなりませんでした。
それっていうのは、「週刊少年サンデー」っていう看板、ブランドに対する愛着というか、愛情みたいなものが芽生えたからだと思うんです。だから、今でも「週刊少年サンデー」を買い続けています。
また、最初は好きな漫画を読みたいだけだったのが、いつの間にか雑誌のカラーとか編集方針に惚れ込んでいる場合もありますよね。例えば、秋田書店の漫画雑誌なんかは、そういうパワーや求心力が強くて、雑誌そのものへの熱烈なファンが多いように思うのです。
 
 

■まとめ

勿論、その辺りの感覚や、雑誌を買い続ける理由っていうのは人それぞれなので、一概にどうというのは言えないと思うのですが…。
 
ただ、漫画雑誌のレビューサイトを見ていると「○○○○は最近、ちょっと…」とか「××××は、読む作品がメッキリ減っちゃったなぁ…」みたいな感想を見かけることがあります。でも、そこでも何だかんだ言いながら同じ雑誌を買い続けている人たちっていうのは、やっぱり雑誌そのものへの愛着、愛情がある人たちだと思うんです。
 
で、そうやって雑誌そのものと長く付き合っている人、買い支えている人たちっていうのに、自分は結構憧れます。
できれば、自分も掲載作品だけじゃなくて、雑誌そのものに対して愛情と敬意を持って、長い付き合いをしていける漫画ファンになれればなぁ、なんて思うんですよね。