現実のエロでは見れない"絵"を見せてくれるのが、成年漫画の魅力の一つ

tunderealrovski2012-01-11

 

<「COMIC HOT MiLK」 2009年12月号 (コアマガジン社) P.119>
 
今回は成年漫画に関するアレやコレやで、軽めの更新です!
 
 

■"エロ"を求めた先が、何故エロ漫画なのか?

私は、成年漫画、エロ漫画のファンで、毎月雑誌を買い、そこでお気に入りのエロ漫画家さんをみつけたら、その方の単行本を買い…という感じで、色々な作品を読ませていただいているんですが、前々からずっと自分の中で思っていたのが、何で自分は、こんなにエロ漫画が好きなのか? ということです。
 
元々、漫画やアニメが好きで、二次元の女の娘に可愛さやエロスを感じることができるし、そういうものが好きなんだ、というのは理由の一つとして勿論あるんですが、正直、単純に性欲処理の為だったらAVとかエロ本を見てればいいだけの話ではあるんですよね。で、そこで何でエロ漫画に行くのかな? っていうのをちょっと改めて考えてみたんです。
 
そこで、一つ思い当ったのが、エロ漫画に出てくる"絵作り"の部分に自分は凄く惹かれているんじゃないかってことなんですね。エロ漫画は、"漫画"という表現分野の特性を活かして、実写のAVでは絶対に作ることができない絵でもってエロを描いてくれる。そこに、自分はおもしろさを見出しているんじゃないのかなって。
 
ちょっと、具体例を挙げつつ、どういうことかっていうのを書いてみたいと思います。 
 
 

■現実では見れない"絵"を用いたエロ



 
コレは、コアマガジン社の成年漫画雑誌「COMIC HOT MiLK」の2009年12月号に掲載をされた、葉雨たにし先生の「夏と川原と柱時計」という作品の一場面なんですが、このシーンに自分は当時、大変に衝撃を受けたんですね。
 
このシーンは、男の子と女の子が畳敷きの和室でエッチをしているというシーンなんですが、一コマ目の後背位のシーンでは男女を正面から映しているんですけど、これが二コマ目に移ると、透過された畳の下からヒロインを映した絵になっている。
 

 
畳に押し付けられて変形している胸の描写も官能性が高くて、単純にエロとしても非常に"使える"絵になっていると思うんですが、まぁ、コレ実写のAVでは絶対に撮ることができない絵ですよね。当たり前ですけど、畳は透明じゃないから、カメラと人との間に挟んで撮ることなんて出来ないからです。
 
技術的には、カットを挟んで、途中からセットの床をガラスに置き換えちゃうとか、CGを使うとか、あるいはガラスに胸を押し付けたシーンを別個に撮って、それを編集で挟んじゃう…といったテクニックを使えば可能ではあるんでしょうが、そうすると映像の中の時間に歪みが出来て、"嘘"をつくことになってしまう。それって、セックスを扱った映像としては、余りよろしくないことだと思うんですね。
 
AVの世界だと、予算の関係とセックスというテーマを扱っている都合上、カメラの数も少な目で、しかも、長回しでの映像が中心となります。勿論、そうした中で生まれてきた技術も多々あって、例えばそうした映像面での不遇さを逆手にとった所謂「ハメ撮り」といった技法も生まれてきた。
そうしたAVならではの表現の強さみたいなものを無視して比較しちゃうのは、ちょっと卑怯ではあるんですが、やっぱりこういった実写では有り得ないアングルを使った絵作り、セックスの描写を用いることができるのは、エロ漫画の大きな魅力だと思うんです。
 
こうしたエロ漫画の表現としての特性や、それを巧みに使ってエロを作品内に描く漫画家さんの技術と心意気。そういった部分に、私は惹かれていると思うんですね。強く、強く。
 
 

■まとめ

実写ではなかなか実現し難い"絵"を作品内に使うことができるのが、漫画やアニメといった表現分野の特性であり、今回、例として出したような表現技術も、漫画表現の中では割かしスタンダードなもので、私の意見も非常に素朴なものだと思います。とはいえ、"性"や"セックス"をテーマとして扱うエロ漫画やAVの世界では、こういった素朴で単純な比較を通してこそ、それぞれの特性が強く浮き出てくるような気がするのです。
 
エロ漫画にはエロ漫画の、そして、AVにはAVの良さと表現としての強さがあり、それぞれのジャンルで日々"エロ"を描く技術の切磋巧磨が行われています。だからこそ、その二つのジャンルをクロスオーヴァーして語ることが、私はとても楽しいんです。