格闘ゲームはなぜヒクソン・グレイシーを殺さなかったのか
格闘ゲームと現実世界の格闘技の流れをリンクさせて検証してみると、また新しい発見があるのではないか? と考え、ここのところ、色々と調べものをしていました。そんな中で、自分なりに意見をまとめてみましたので、ちょっと長めのエントリではありますが、最後までお付き合いをいただけたら幸いです。
いや、実際、90年代後半からの格闘技の方向性の転換と、格闘ゲームのデザインの変化って、かなり密接に繋がっていると思うのですよ。
そんなわけで、格闘技と格闘ゲーム、その両者についてアレやコレやと!
■"異種格闘技戦"とアントニオ猪木
そもそも、格闘ゲームの世界観というものは、様々な格闘技の使い手が集い覇を競い合う「異種格闘技戦」としての雰囲気が強いものでした。「異種格闘戦」という言葉に馴染みのない方の為に、この言葉のニュアンスとヒストリーを簡潔に説明をさせていただくと、これは読んで字の如く、空手、柔道、プロレス、ボクシング、ムエタイ、テコンドー…といった格闘技を他の格闘技とぶつけ合う試合スタイルのことです。
日本の格闘技史を紐解いてみれば、実に多種多様な異種格闘技戦が行われているのですが、この試合形式と言葉を一般的にしたのはアントニオ猪木によるプロレスラー対格闘家という構図の下で行われた一連の試合でしょう。
<アントニオ猪木 vs. ザ・モンスターマン>
アントニオ猪木が戦った異種格闘技戦の試合の中でも"名勝負"との誉れも高いザ・モンスターマン戦を参考動画に。
アントニオ猪木は、それまで"プロレス"というジャンルに対してファン以外の層が抱いていた「プロレスは所詮、八百長」「プロレスラーは弱い」という偏見とネガティブなイメージを払拭する為に、空手家やボクサーなど、他ジャンル、他流派の格闘家たちと格闘技の試合を行いました。ここで猪木が戦った格闘家たちの中には、あのモハメッド・アリや柔道オリンピック金メダリストのウィリアム・ルスカといった超一流のアスリート達も含まれます。
上記のザ・モンスターマン戦を見ても、従来のプロレスラー同士の"プロレス"とは違う、"異種格闘技戦"の特異性が伝わるかと思います。ザ・モンスターマンはアメリカの空手、キックボクシングのチャンピオンという触れ込みで猪木と戦った選手ですが、ボクシング・グローブを付け、鋭い蹴りや重いパンチを放つ、その打撃を耐えに耐え、プロレス技で一発逆転をする猪木…という、"空手""キック・ボクシング"対"プロレス"という、本来ならば決して交わり様のない他ジャンルの格闘技がぶつかり合うおもしろさ…それがリングの上で描かれている。これが異種格闘技戦の魅力です。
つまり、異種格闘技戦には「最強の格闘技は何なのか?」そして「最強の格闘家は一体誰なのか」という夢とロマンがタップリ詰まっている。そして、その異種格闘技戦をアントニオ猪木は、プロレスこそが最強の格闘技であるというアピールとプロモーションの為に最大限に利用をしたわけですが、こうした夢やロマンこそが猪木の異種格闘技戦を見て育った人々にとっての格闘技観の背骨、ベースの部分になっているのは間違いないでしょう。
■格闘ゲームのベースになっているのは異種格闘技戦
その査証として、格闘ゲームにおける異種格闘技戦の影響を見ていきたいと思います。先ずは、1991年にリリースされ、格闘ゲームの爆発的なブームを作った二つの作品。カプコンの「ストリートファイター2」とSNKの「餓狼伝説」を見てみれば分かりやすい。「ストリートファイター2」の主人公、リュウは道着姿で赤い鉢巻を巻き、空手と柔道を武器に、自分より強い相手に会う為に世界中を放浪しているというストイックな格闘家という設定。そして、世界中から集まった格闘家達は、それぞれ中国拳法やムエタイ、プロレス、相撲、マーシャルアーツ…といった格闘術の使い手たち。
コレなんて、もうモロに「空手バカ一代」の世界というか、梶原一騎的な格闘技観が、その世界観のベースになっているわけですよね。先ほど、異種格闘技の代名詞として、アントニオ猪木の名前を挙げましたが、梶原一騎も猪木と並ぶ異種格闘技戦の仕掛け人でありキーパーソン。
「ストリートファイター2」の世界観、格闘技観っていうのは、アントニオ猪木や梶原一騎がリング、劇画の中で描いていたような、様々な格闘技の使い手が拳を交わし、そしてどの格闘技が一番強いのかを決める…そうした夢とロマンによって形作られていたわけです。
「餓狼伝説」の場合は、「父親を殺された兄弟の復讐劇」というドラマ性がより強調された形になっていますが、それぞれマーシャルアーツ、ムエタイ、そして骨法(!)の使い手である主人公の中から一人を選び、カポエラやプロレスや古武術といった格闘家たちを倒していく…という、これまた異種格闘技戦的なニュアンスに溢れている。
90年代の前半に作られた格闘ゲームの数々は、いずれもこうした「スト2」「餓狼伝説」的な世界観を共通して有しているといって良いと思います。現実世界でのプロレスや格闘技のムーブメントに敏感だったSNKによる諸作品は、特にその傾向が強い。「餓狼伝説」の翌年、92年にリリースをされた「龍虎の拳」なんて、極限流空手という空手流派の使い手が、様々な格闘術の猛者をバッタバッタと薙ぎ倒していく、まさに梶原一騎の格闘ロマンをゲームの中にフィードバックした作品だと言えます。言わずもがな、極限流の下敷きになっているのは、「空手バカ一代」の主人公、大山倍達の極真空手です。
また、アントニオ猪木による異種格闘技戦路線を更に推し進めた、前田日明のプロレス団体「RINGS」で、旧ソ連の格闘術であるコマンド・サンボの強さがフィーチャーされれば、それをいち早く取り入れてコマンド・サンビニストの女性キャラクター、ブルー・マリーを「餓狼伝説3」に登場させたりもしている。
■「格闘ゲーム」と「総合格闘技」の出発点としての1991年 - スト2、餓狼伝説、RINGS、ヴォルク・ハン
こういった異種格闘戦の醍醐味を巧みにパッケージングしたのがSNKの格闘ゲームのおもしろさ。
刀を持ったキャラクター同士が戦う「サムライスピリッツ」や、既存の格闘術のアクションとは全く異なるモンスターによる格闘ゲーム「ヴァンパイア」のような作品も続々とリリースされますが、多くの格闘ゲームで共通の理念としてあったのは、「異なる格闘スタイルを交わらせ、戦ったならばその格闘技が一番強いか」だったと言えます。コレは、「バーチャファイター」や「鉄拳」のような3Dによる格闘ゲームがリリースされるようになってからも受け継がれていった格闘ゲームの"哲学"です。
しかし、これが90年代の後半〜00年代に入ると、現実の格闘技界に大きな衝撃と変革が起こり、そこから格闘ゲームの世界も徐々に様変わりをしていきます。
■格闘技界に現れた黒船 - ヒクソン・グレイシー登場
90年代の中盤〜後半に掛けての格闘技界は、この男の名前を出さずして総括することはできないでしょう。"300戦無敗の男"ヒクソン・グレイシー。
93年、アメリカのデンバーにて、それまでの異種格闘技戦とは明らかにルールもニュアンスも異なる"バーリ・トゥード"(「何でもアリ」の意)による格闘技大会「UFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)」の第一回大会が開かれます。相手を倒す為ならば、噛み付きと目つぶし以外は何をやっても許されるというルールの下、8名の格闘家によって行われたワン・デイ・トーナメントで優勝を果たしたのは、当時、無名のブラジル人柔術家だったホイス・グレイシーでした。
日本のプロレス団体、RINGSやパンクラスに参戦し、名前とその実力が格闘技ファンに知れ渡っていたケン・シャムロックやジェラルド・ゴルドーといった有名格闘家達を次々に下し、無名の…しかも、小柄なブラジル人が「何でもアリ」の大会で優勝を果たすという衝撃。そして、そのホイスは試合後のインタビューで、更に衝撃的な台詞を口にします。
「私の兄、ヒクソンは私の10倍強い」と…。
この瞬間から、日本における格闘技の歴史は新しい時代の扉を開くこととなります。というのも、それまで、リングの上で行われていた異種格闘技戦というのは、異なる格闘技同士が戦ったらどうなるか? というエンターテインメント的な要素が強いものだったのです。故に、プロレスラーはプロレスラーの、ボクサーはボクサーの、そして空手家は空手家のそれぞれの良さをショーアップされた中で表現することができた。
ところが、ホイス登場以降の格闘技シーンは、何でもアリの真剣勝負が中心となります。従来の異種格闘技戦の様に相手の格闘スタイルの良い部分を引き出すのではなく、相手にダメージを与える為に、全力で殴り、蹴り、如何に相手を早く倒すかで、絞め技や関節技が研究をされていく。まさに、"アルティメット(=究極)"の戦い。
初期にバーリ・トゥードと呼ばれ、アルティメットという呼称を通過して、今ではミックスド・マーシャル・アーツ(=MMA)という、よりスポーツライクな名称で呼ばれるようになった…「総合格闘技」の誕生です。
そして、総合格闘技の世界で"最強"と呼ばれていたのがヒクソン・グレイシーでした。日本の柔道がブラジルに渡り、そこで独自の進化を遂げた格闘術"グレイシー柔術"を武器に、日本の格闘技イベントで連戦連勝を重ねたヒクソン。
今では、その強さや技術に疑問符を付けられることの多いヒクソンですが、その"最強"の幻想が頂点に達したのが98年に行われた総合格闘技大会「PRIDE」の第一回大会のメインイベントで行われた、プロレスラー高田延彦との一戦でした。
当時、「UWFインターナショナル」という格闘技志向の強いプロレス団体の社長兼エース選手を務めていた高田延彦は、元ボクシング王者のトレバー・バービックや元横綱の北尾光司といった格闘家達を"異種格闘技戦"で次々に下し、"平成の格闘王"の名を欲しいままにしていました。そんな、"異種格闘技戦"によって最強の幻想をまとった高田と"総合格闘技"を通して最強の呼称を手に入れたヒクソン、二人の"最強"の格闘家による一戦はヒクソンが終始、高田にプレッシャーを与えて圧倒し続け、最後は腕ひしぎ逆十字で一蹴。高田は、プロレス界の面汚しと罵られ、以降、苦難の道を歩むことになります。
猪木がプロレスこそ最強であるというプロモーションの為に行った異種格闘技戦、そして、その路線をなぞることで自身の強さをアピールした高田延彦は、異種格闘技戦に代わる総合格闘技の前に屈したのです。
■"異種格闘技戦"の夢とロマンを崩壊させたヒクソン
総合格闘技が競技としてスタイルは、前述したように真剣勝負の中で如何に相手を圧倒し、そして倒すかです。これは、そもそもの方向性も目的も、異種格闘技戦とは異なるもの。プロレスラー、ボクサー、柔道家、相撲、ムエタイ…ヒクソン・グレイシーの登場以降、様々な格闘家達が総合格闘技の世界にその身を投じていきますが、そこで勝つ為に、それぞれの格闘術はその特徴をそぎ落としいくことになります。
総合格闘技の基本的な戦術はこうです。立った状態(スタンド)では、ボクシングかキックで相手にダメージを与え、寝た状態(グラウンド)では相手の身体をコントロールし、有利なポジションを取り、殴り続けるか、関節技、絞め技で相手からギブアップを取る。こうした総合格闘技の世界では、ボクシングが出来て、なおかつ、レスリングもマスターし、更に柔術の絞め技、極め技をも使えるファイターが一番強い選手となる。
コレは、ヒクソン・グレイシーが使っていた格闘術であるグレイシー柔術の基本的な戦法であり、現在の格闘技界では更に洗練と進化を遂げています。
しかし、こうした格闘スタイルの中では、各格闘技の持ち味を出すのは不可能です。例えば、このルールではプロレスラーがプロレス技を出すのは無理ですし、空手家は打撃を出す前に一瞬で倒され、絞め落とされるか、関節を壊されてしまう。先ほど、引用をしたアントニオ猪木とザ・モンスターマンのような試合は絶対に、総合格闘技の世界では再現不可能です。異種格闘技戦は、総合格闘技という絶対的なリアルが誕生する前に存在をしていたファンタジーなのです。
そして、そうした異種格闘技戦のファンタジーをベースにしていた格闘ゲームの世界も、ヒクソン・グレイシーの登場以降は、その方向性を異にすることになったと言えると思います。
こうして振り返ってみれば、2000年代以降の格闘ゲームは、「スト2」や「餓狼伝説」のような様々な格闘術の使い手たちが一度に集い、拳を交わす…というな設定、ストーリーラインではなく、超能力バトルや武器格闘ものが続々とリリースをされていきます。
2000年にリリースをされた「ギルティギア」などは、正にそうした格闘ゲームの代表格と言えるでしょう。
勿論、「ギルティギア」のようなゲームが増えていったのは、格闘ゲームのハイ・スピード化やテクニカル化が推し進められた結果という側面が強いでしょう。しかし、それまでカプコンやSNKがリリースをしていたような従来の格闘ゲームらしい格闘ゲームが少なくなっていった背景、そこに、90年代後半の現実世界の格闘界の流れ…総合格闘技の登場による異種格闘技戦のオーラの消失をリンクさせて考えることは決して無意味ではないと思います。
■格闘技と格ゲーの乖離 - 何故、格ゲーには柔術家がいないか?
総合格闘技の登場は、それまで格闘ファンの間で共通認識として存在していた異種格闘技戦の夢とロマンを崩壊させ、否定し、全く異なる価値観を提示してみせました。そこでは、各格闘技の特色はスポイルされ、総合格闘技にアジャストした練習を行い、その格闘スタイルを身につけたファイターが勝利をする。そして、そうした総合格闘技の格闘スタイルは、従来までの異種格闘技戦をベースとする格闘ゲームの世界観とは趣を異にするものだった。大袈裟に言えば、そうした一連の流れが、格闘ゲームのデザインそのものを変革させたのだと思います。
例えば、ヒクソン・グレイシーの登場によってセンセーショナルに取り上げられ、そして、現在まで続く総合格闘技の礎となったグレイシー柔術。90年代後半にこれほど格闘技界を騒がせた柔術ですが、そのスタイルを取り入れている格闘ゲーム、キャラクターって非常に少ないんです。
「ストリートファイターEX」のほくとのように、"柔術"を格闘スタイルに謳っているキャラクターは確かに存在します。しかし、そこで言う柔術とは日本古来の護身術、古武道としての"柔術"です。
これが近代に入って、打撃や危険な技を取り払い、スポーツ化されたのが柔道。そして、前田光世という柔道家がブラジルに渡り、そこでグレイシー一族に伝授をし、ホイスやヒクソンの登場によって今一度世に知れ渡ったのが近代的な柔術です。即ち、グレイシー一族がマスターし、以降、総合格闘技の必須科目なった柔術は日本の柔道を先祖帰りさせたものと言えるのですが、関節技を重視し、実戦向きに進化を果たしたそれは格闘技ファンの間では一般的には"ブラジリアン柔術"と呼ばれ、日本古来の柔術とは区分をされて考えられています。
そして、このブラジリアン柔術をマスターしている、或いは、ブラジリアン柔術のようなアクションをする格ゲーキャラは非常に少ない。現実世界では、アレだけ大きなムーブメントを起こしたにも関わらず…です。
そこには従来の格闘技を覆したヒクソンのトラウマがあったから…という仮定は非常にドラマティックですが、実際のところは単純に"格闘ゲーム"の世界にその動きを落とし込むのが難しかったのでしょう。タックルで相手を倒し、或いは引き込んで、寝技で有利なポジショニングを取り、サブミッションを仕掛ける…というブラジリアン柔術の一連の動きは、現実の格闘技では有効であっても、ゲームの世界では表現しづらい。
こうしたゲームと格闘技の乖離も、格闘ゲームのリリース数の減少、方向性の変換に大きな影響を与えているのではないかと思います。
現実の格闘技界においても、そして、そこから影響を受け続けてきた格闘ゲームの世界においても、ヒクソン・グレイシーの登場、そして、総合格闘技の台頭の衝撃は余りにも大き過ぎた。それが、90年代後半〜2000年代前半の格ゲー史に色濃く影を落としているのではないでしょうか?
■まとめ
総合格闘技の歴史を紐解きながら、格闘ゲームの変化について、やや冗長ではありますが、自分なりにまとめてみました。最後に、現在の格闘技、格ゲー、その両方のシーンを振り返ってみれば、総合格闘技は最早"スポーツ"として確立し、従来の格闘技史とは異なる独自のスタイル、価値観で日々進化を遂げています。
そうした中で、格闘ゲームは例えば「ストリートファイター4」のように、「スト2」への回帰路線というべきか、異種格闘技としての色合いを残した作品が大ヒットになっている。
ヒクソン・グレイシーの登場から10年余。格闘ゲームは、もう一度"格闘技"の夢とロマンを追い求め始めたのではないでしょうか。それっていうのは私の中で、総合格闘技の登場によって一度は地の底に落ちたプロレスの権威と人気の復活ともリンクをしています。
"ヒクソン"という名の黒船が残した衝撃と呪いは、ようやく消え去った…。「スト2」「餓狼伝説」のリリースから21年。高田延彦の無残な敗戦から14年。2012年に、私はそんなことを思います。