『亜人ちゃんは語りたい』第2話「デュラハンちゃんは甘えたい」の素晴らしさを必要以上に熱っぽく語りたい!






2017年の冬アニメ『亜人ちゃんは語りたい』の第2話「デュラハンちゃんは甘えたい」が、物凄く好みのエピソードでした!


なので、おもしろかったところをまとめておきたいな、と思ったのですが、一回、こういう感情っていうのを文語体じゃなくて、口語体で、それこそ『タマフル』のRhymester宇多丸さんの映画評のコーナーじゃないですけど、思いとパッション! それだけで、一気にガーッ! と書いたら、どんな具合になるんだろう? なんてふと思い、今回のエントリでチャレンジしてみました。


以下、かなり長目ではありますが、自分の気持ちと感想をまとめてあります。


そんなわけで、今回のエントリでは、『亜人ちゃんは語りたい』の第2話についてアレやコレやと!




















あ、


自分がライターとして参加をさせていただいている『ウレぴあ総研』様で、アニソンの魅力を語る連載企画が始まりました。


■【連載】人気脚本家と作曲家が手を組んだ『亜人ちゃんは語りたい』OPテーマ『オリジナル。/TrySail』を語りたい


第1回目は、『亜人ちゃん』オープニング主題歌の『オリジナル。』をピックアップさせていただきました。本エントリと併せて、読んでいただけると大変に嬉しいです。




■『亜人ちゃんは語りたい』町さんの存在感にビビる!

本作、『亜人ちゃんは語りたい』。私、原作漫画は未読でございました。ただ、「オープニング主題歌の作詞が岡田麿里さん、作曲がクラムボンのミトさん」「キャラクターデザインが『龍ヶ嬢七々々の埋蔵金』の川上哲也さん」「更に、音楽が横山克さん」というね、私的にヒットするポイントが山盛りでございまして、放送前から絶対にチェックをしておこうと目星を付けておいた作品でございます。


で、いざ始まりました。一番ビックリしたのがですね、オープニング『オリジナル。』の素晴らしであるとか、横山さんの劇伴の良さ、川上さんのキャラデザの可愛さ、そういう作品を形作る各要素っていうのが、自分好みの作品だったんですけど、やっぱりね、何が一番ドカンと来たかというと、ヒロインの一人である町京子さん! この娘の存在ですね。


亜人ちゃんは語りたい』をね、観てない人の為に説明しておくと、亜人……人外ですよね、ヴァンパイアとか雪女とか、そういう"人"たちが人間と共存している世界観の中で繰り広げられる学園ドラマです。『モンスター娘のいる日常』であるとか、最近、アニメ化される作品も増えてきて、人気が出ている「人外ヒロイン」作品の系譜にあるアニメかな、と思うんですけどね。


そういう亜人ヒロインの中で、町さんというデュラハンの娘がいる、と。もう、この娘は、キャラデザの一枚絵とかYoutubeのティザームービーの時点でね、首が胴体から離れているんですよ、デュラハンなんで。


それを観て、原作を知らない自分がこの娘を目にした時に思ったのが、「多分、この娘の首が落ちちゃうのが笑いになるんだろうな」と。あるじゃないですか、『究極超人あ〜る』のR・田中一郎とか、『Dr.スランプ アラレちゃん』の則巻アラレとかね。ああいう、ギャグ漫画、ギャグアニメで首が取れちゃうキャラクター。肝心なところで、首が取れて周囲が「あ〜っ!」ってなってそれがおもしろい、みたいな。


なので、町さんもそういうキャラクターなんだろうなって思って観るじゃないですか。そしたら、全然違うんですよ。そもそも、頭部が胴体に付いてることがなくて、ずっと手に持っているキャラクターなんです。だから、アレですよね、ちょっと例えが古いですけど、『マジンガーZ』のブロッケン伯爵みたいな感じです。ティム・バートン監督の『ビートル・ジュース』に出てきた幽霊夫妻の旦那の方とかね。


そういう感じなもんで、彼女を巡るドラマっていうのは……勿論、その特殊な体質故の笑いの要素もあるんですよ。こう、祖父母の家に遊びに行って、駅のホームで別れを惜しんでいたら、頭だけ新幹線に乗り遅れちゃって、身体と離れ離れになったりとかね、そういうコメディもあるんですけど、これね、町さんが主役になる第2話!




■現代を生きるデュラハンを描く想像力に驚愕!

これが本当に凄くてですね、あの、こっちはさっき言ったみたいに、『究極超人あ〜る』みたいなギャグを予想してたわけじゃないですか。そしたら、違う、全っ然、違う! この娘がね、日常生活を送る上での苦労であったりとか、それをどう乗り越えてきたかっていうのを語るシーンがあるんですね。


例えば、お風呂に入る時もね、布で作ったホックに頭を乗っけて、身体は湯船の中で「う〜ん!」みたいなね。ちょっとそういうセクシーなシーンも入れつつ、「もしも、デュラハン現代社会にいたら、こういう風に風呂に入るんだろうな」っていうのを納得させてくれるような、そういうシークエンスがあるわけ。


更に、ビックリしたのが、町さんが食事をするシーンで、ハンバーグかな? 夕食のハンバーグか何かを食べてるんですけどね。頭を胸の辺りで、あの『時計仕掛けのオレンジ』で、主人公のアレックスが人格矯正の為に頭を固定されて、延々、戦争とか暴力の映像を見せられるシーンあるじゃないですか。あんな感じで……っていうと、ちょっとイメージがよろしくないですけど、頭が落ちないようにですね、頭部を胸の辺りでベルトみたいなもので固定して、それでハンバーグを口に運んで「う〜ん!」っていう。あの、町さん、声を演じているのが篠田みなみさんなんでね、こう「う〜ん!」みたいな台詞が物凄く似合うんですけど。


私はね、あのシーンを観て、本当にビックリしてですね! っていうのが、「そこ、首の上に頭を乗せるんじゃないのかよ!」っていうね。でも、考えてみたらね、さっき書いたみたいに、町さん、生まれた時からデュラハンです。なんで、ずっと自分の頭を抱えて生きてきてます、と。そう考えると、彼女にとっては日常生活で何をするんでも目線であるとか、距離感であるとかは、その位置が極々自然なんだろうっていう、これも凄い納得がいくというか、あの、「よく、そこに想像力がいったな〜」っていう驚き!


「そうだよね、彼女にとっては、逆に首の上に頭があるっていうのは不自然なことなんだよね」っていうさ〜。もう、何だ、アレ!? 原作者さんもアニメ版のスタッフさんも、皆、作った人たちに対して、「凄いな!」っていう。


寝る時もね、身体は普通に布団に入って寝るんですけど、頭は犬小屋みたいな、ちょっと小さい……けど、ちゃんと屋根がある家の中に入れて寝るっていうね、そういうシーンがあって。「あぁ、夜中に起きた時に寝ぼけて、自分の頭を踏まない為の対策なんだろうな」みたいな、ちょっと想像力を巡らせてみたら、一個一個の描写に整合性があるという、そういう秀逸なシークエンスが色々とあるんですよ。


しかも、第2話、これらのシークエンスが出てくるのは、もう序盤も序盤でごいます。でね〜こっからが更に凄かった!




■「デュラハンあるある」のイマジネーションにリスペクト!

中盤から、町さんが高橋先生……この人は、亜人のことを色々と調べている高校の男性教師なんですけどね、この人が町さんの身の上話みたいなのを色々と聞くのが第2話の序盤の展開。亜人に対面で話を聞いていくっていうね、ちょっと「明るく楽しい『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』」な感じで。伝わりますかね? 何か、そういう絵を想像して欲しいんですけど。


そこから、高橋先生とね、疑似デートに出掛けるって流れになるんですよ。「将来的に、彼氏ができてデートに出掛けた時に、どういう困難が想定されるか?」っていうのをフィールドワークで調べようという名目で、高橋先生が町さんの頭を持って……もう、絵が物凄いことになってるんですけど、「じゃあ、二人でデートだ!」っつって。それで、町さんの身体はお家でお留守番するんですよ。


そしたら、出掛けた時に頭を自分で持ってるんじゃないから、他人に持ってもらっているから、どうしても揺れちゃって、ちょっと酔って気持ち悪くなっちゃったり、それ見て「あ、そういや三半規管って耳の奥にあるんだよな」とか、人間の身体の作りを再確認できたり。


あと、同性に残った身体の部分をセクハラされたりとか、頭がね、無いから、見えないから、それを良いことに乳首当てゲームをされたりとか、トイレに行きたくなって困ったりとか、そういう「ちょいエロ」みたいなものを挟みつつの凄い秀逸な「デュラハンあるある」が続くわけ。


まぁ、「デュラハンあるある」ってキーワード、私、これから一生使うことないと思うんですけどね。何だよ、「デュラハンあるある」って。でも、これもさっきの食事のシーンとか就寝のシーンみたいに、「デュラハンがホントにいたら、こういうトラブルあるんだろうな」って納得できるシーンが続くんです。


逆にいうと、当たり前ですけど、デュラハンなんてこの世にはいないわけで、ここも「よく、そんなの思い付くな……」っていう製作者サイドのイマジネーションに対して、もうね、超リスペクトですよ、私は!




■悪人がいない世界観に、心を震わせる……!

それから、ここが私の感動クライマックスなシーンなんですけどね、あのね、悪人がいないんですよ。悪意が全然、画面の中に入ってこない!


ここが凄く良いなと思ったところで、高橋先生が町さんの頭を持って街中を歩いていても、誰も変な目で見たりとか、そういうのがないわけ。「お前ら、どんだけデュラハンに対して、リテラシーが高いんだよ!」って思うくらい、周囲が二人のことを自然に受け入れてるわけですよ。


普通、男の人が女の生首持ってたら、とんでもない大騒動になるわけじゃないですか。完全に、猟奇殺人犯か、そういうパフォーマンスの人なのかな? っていう。「前衛とか現代美術の人がマネキン持ってパフォーマンスやってるのかな?」って、どっちかでしょ? 多分、リアクションとしては。でもね、劇中では周りの人がノーリアクションなんですよ、良い意味で。


一方で、これはコメディのシーンなんですけど、お留守番していた町さんの身体を見てね、町さんのお友達でひかりちゃんっていう……あ、この娘はヴァンパイアの亜人です。ひかりちゃんの妹さんが、家に帰って来たら首のない胴体が家の中を歩いているから「ひぃっ!」っていう。「まぁ、そりゃそうだろうな」っていうリアクションをするわけです。


だから、チグハグっていえばチグハグなんですよね。街中にいる人々……まぁ、アニメっぽく「モブ」って表現しましょうか。モブたちは、町さんの頭部と一緒に歩いている高橋先生を見ても全然違和感を抱かないんだけど、妹さんは、首から上がない胴体を見てビビるっていう。「これ、ちょっとデュラハンに対する周囲のリテラシーとか、認知度みたいなものの基準が分からないなー」とも思うわけ。


そこが、さっき書いた「デュラハンあるある」みたいな描写における真の迫り方、フィクションではあるんだけど、凄く想像力がフルに働いていて真に迫ってるな〜っていう感心の仕方とはニュアンスが大きく異る部分で。


でも、それが全然嫌じゃなくて、「何か、リアルじゃないなー。何か、キャラクターに感情移入できないなー」みたいな、そういうフィクションに対するネガティヴな感情には全然、繋がらなくて。凄く思ったのが、「あ〜優しい、凄く温かい世界だな〜」っていう、そういう思いをですね、抱いたわけです、私は。




■"悪意"の無さに感動を覚えた第2話!

このエピソードは、高橋先生とかひかりちゃんとか、町さんの周囲にいる人たちの優しさを描いた話なんですね。それは、全編を観ていただければ分かるわけですけど。つか、是非とも観ていただきんですけど。


だから、極端な話をすると、そこでね、あの〜これ、ストーリーの紡ぎ方として、凄く陳腐な表現ではありますけど、まぁ、その疑似デートのシーンでですね、周囲の人たちが町さんに対して悪意のある目線であるとか、アクションを起こしてくる、で、それらから高橋先生が町さんを守る、或いは、そういう悪意で傷付いた町さんの心を癒やしてあげる、そういうドラマツルギーもありなわけじゃないですか。そうすると、まぁ、守った側のキャラクターの善性みたいたものが非常に分かりやすく強調されるわけなので。


でも、そういうのをやらない、描かない。フレームに入れないっていうね。それが、凄く良いなと思った。そういう……まぁ、そういう「他を落として、メインの登場人物を上げる」みたいなね、そういうのはストーリーなりキャラクターなりを描写する上で、メジャーな方法論ではありますし、そういうことをやってても、おもしろい物語、魅力的なキャラクターって一杯ありますしね。


でも、『亜人ちゃんは語りたい』では、それをやらずにね、ああいう温かい、優しい物語を描くっていうね。それがね……もう、非常に良かった! 本当に良かったなと思って。


これね、ホントにこのエピソードについては、もう褒めたい部分、一杯あるんですけど。各キャラクターの魅力みたいなものと一緒にね、いや、でも、やっぱり一言で言ったら本当に良かった!


あと、町さんのキャラクターっていうのが、やっぱり、アニメーションで観ると、また凄くおもしろい、非常に動かし甲斐のある存在だと思うんですよ。例えば、目線であるとかね、身体の動かし方とかね。あのデートの前にね、鏡の前で着ていく服を悩むシーンとかあるんですけど、そのシーンとかもおもしろくて、これも「あ〜よくこんなの思い付くな〜」って。


色んなおもしろいアニメありますけど、2017年の冬アニメ! 『亜人ちゃんは語りたい』の第2話は、今のところ断トツでおもしろく、色々な人にオススメしたい挿話でございました!


……何か、今回、ちょっと実験的に、口語体でラジオっぽく作品語りをしてみたんですけど、やっぱり、アレですね、ダメですね、私は。ただただ、ダラダラ長いだけの文章になっちゃって。次回は、ちゃんとBLOGらしい文章を書きます! 多分!!