アニメ好きだからこそ泣きたいねん!

 
どうも、毎週「夏目友人帳」と「魔法遣いに大切なこと〜夏のソラ〜」を観ては号泣しているものです。
 
ってか、やばいよ! 月曜日〜水曜日上記の二本のアニメのせいで、涙腺が枯渇するんじゃないかなってくらいマジ泣きです。
もうね、このまま体の水分出尽くして、矢吹丈と最期に闘った時の力石徹みたいな体型になるんじゃなかなってくらい。
 
夏目友人帳」では、妖怪が見えるせいで周囲との間に壁を作ってしまっていた主人公が、「妖怪と人」との繋がりのために奮闘していく中で、人と人、妖怪と妖怪、あるいは人と妖怪の「絆」みたいなものに気付いていく過程に涙し、
魔法遣いに大切なこと」では、主人公のソラちゃんが他人の幸せや大事なモノの為に魔法を使って、頑張る姿にまた涙する。
 
両作品とも、主人公が、人との繋がりのために奮闘するっていう健気さと、その中での思春期性が瑞々しく描けていて、凄く良いんですよ!
 
で、まぁ毎回毎回泣いちゃうんですけど、ここで違和感。
 
ん? 俺、こんなに涙とか流すタイプの人間だったっけ?
ってか、俺ってもっとこう捻くれもので、こういう涙を誘う作品とか敬遠して今まで生きてきたハズじゃぁ・・・。
 
 

■もっと素直に泣いてみよう。
 
人間にとって、「泣く」っていうのは凄く大事なことだと思うんですよ。
 
ストレス発散にもなるし、「泣く」ことも含めて感情表現が豊かな人は、泣くことが苦手な人よりも、精神的に安定しているような気がします。
職場でもいますね、酒の席で直ぐに泣きが入るくせに、翌日には”ケロッ”っとして仕事に励める人と、反対に感情表現が苦手なせいで、ストレスを勝手にため込んで体調崩しちゃう人・・・って、後者は完全に俺だ(笑)。 
 
でもね、捻くれものにとっては「泣く」って結構大変なことなのよ?
 
「韓流ブーム」だの「ケータイ小説」だの「J-POPの泣ける歌詞」なんてのは、この手の捻くれもの君に対しては、完全に適応外なわけですよ。
例えば、大手のシネコンで上映されるような「感動超大作(なんつー安直な言葉だ!)」が、映画好きの人間から言わせると、映画としての出来は今一歩でも、何故、あそこまで多くの客を集められるのか?
それは単純に、ストーリーや演出といった映画を構成する要素の良し悪しはひとまず置いといて、「多くの人を効率よく感動させる」システムとして、よくできているからではないか、と思うのですよ。
世の中の泣けるアイテムなんてのは圧倒的大多数のために作られているものなんで、そういった大多数向けのヒット作に「感動」できない、いわば「感動マイノリティー」と言うべき捻くれもの君達にとっては肩身が狭い世の中なのです。
どんなに映画として優れていても、「タクシードライバー」や「パリ、テキサス」に涙する人間よりも、「タイタニック」や「冬ソナ」や「世界の中心でアイを叫んだけもの」・・・じゃなかった、そりゃ「新世紀エヴァンゲリオン」の最終回のサブタイトルだよ! 「世界の中心でナンチャラ」に涙する人間の方が、圧倒的大多数なわけですよ! おめでとう! おめでとう! おめでとう!
 
こうして、捻くれもの君たちは、「泣ける」作品に対してますます距離を置き、何だったら「ケッ!フザケンジャネーヨ」的なシニカルな態度をとり始め、涙を流さない代わりに、ますますストレスを貯め始めるのでした。
あぁ、何たる悪循環!
ダンサー・イン・ザ・ダーク」にSyrup16gを足して、さよなら絶望先生を掛けたくらい絶望的。「機動戦士Zガンダム」の最終回でも可。
 
 
■そんな人こそ、アニメを見てみよう!
 
そんな人こそ、馬鹿にせずにアニメを見るべきだ、と僕は思うんですよ。
基本的に、おたくの人たちって、それこそさっき言った大多数な人向けの感動作を馬鹿にする傾向がある反面、「泣きたがり」な人種だなわけです。
それっていうのは「ケータイ小説(笑)」っていう態度をとる一方で、いわゆる「泣きゲー」を嗜好していたりだとか、萌えアニメや美少女マンガに、必ずっていうくらい「泣き」の要素が入っていたりだとか。
東浩紀さんが著書の中で、オタク文化の中で「萌え」と「泣き」が恐ろしく効率化している様を批判していて読むと凄くおもしろいんですけど、

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

確かに、KeyやLeafが一世を風靡した「泣きゲー」全盛期の頃だったら、そういう安易な空気も孕んでいたんだと思うけど、「萌え」が2000年代に入って、どんどん洗練化されていったように、「泣き」の要素も過剰な部分が削り落されていった上に、優れたクリエイターが次々に出てきて、例えば映画であるとか小説であるとかの文化的な評価が高い他ジャンルの作品と遜色なくなってきている気がするんですよ。
それが例えば「夏目友人帳」であったりとか「魔法遣いに大切なこと」であったりとか。
で、前途したような「感動マイノリティー」の人たちにとっても、こうした作品って凄く優しいんですよ。
 
正直「アニメーション」っていう表現ジャンルを選んでる時点で、世間一般での評価とは切り離された世界にいるわけじゃないですか(宮崎さんとか、世界の押井とか、あの辺は別として)。それが、深夜放送のアニメとなれば尚更。
でも、だからこそ、そこにプライド持ってやってる人たちがいるわけで、そういう人たちが作った作品っていうのは、「嫌らしさ」とか「計算高さ」みたいなものと隔絶されたモノだと僕は信じてるんですよ。
何か、80年代のメジャーな音楽シーンに対抗してできたインディー・レーベルの勃興みたいな精神論なんですけど(笑)。
 
世間一般の趣味嗜好から、外れてしまったハグレもの、捻くれものたちは、偏見を捨ててアニメを見てみるといいと思うよ。
そして、思いっきり泣いてストレスをぶっ飛ばしたらいいさ。
 
アニメ好きだからこそ泣きたいねん!