そんなに「作画」「作画」言わなくても・・・。

 
■シナリオがあれば作画崩壊を防げる
 
■アニメの作画のはなし
 
僕は、アニメを見るときにそんなに「作画」っていうのを気にしないタイプの人間なんですけど、上記のようなエントリーを読むと、「ほう、なるほど、おもしろいなぁ〜」と思ってしまう。
 
いや、もちろん好きなアニメの絵が奇麗だとテンションも上がるし、何と言うか安心して見ていられる(最近だと「夏目友人帳」なんかがそう)っていうのは事実なんだけど、でもアニメの面白さってそれだけじゃないでしょ? っていうのがあって、作品やスタッフを蔑むためとか、ネタにしてこきおろす為に「作画崩壊」って言葉が、やたらとネットで使われる風潮にどうしても違和感を感じちゃうんですよ。
 
たとえば、僕は「我が家のお稲荷さま。」ってアニメがホント好きで、もう毎週楽しみにして見ているんですけど、
このアニメはねぇ・・・なんていうかスタッフの大変さが如実に表れているというか、正直見ていてツライ場面が多々あるんです。
 
例えば、次回予告なんかがもう毎回大変なことになってて、当初はキチンと次回の放送内容がダイジェスト的に流れていたんだけど、いつの間にやらほぼ一枚絵になり、ナレーションが紙芝居みたいな感じで流れるだけという、アニメは好きでもネットに疎くて制作現場の裏事情的なゴシップにトンと縁がない人間でも、
 
「あ…あれ? もしかして、次回の放送分の動画、間に合ってない? もしかして、スタッフの制作スケジュールキツキツ?」
 
っていうのが感じられてしまうという、ちょっとシンドイ状態になっちゃってたりとか、
そんな状態にも関わらず、エンディングが変わって(!)、そのバックで流れるキャラクターのデザインが全然違っちゃってたりとか、

↑普段のキャラデザはこんな感じだけど…。

↑後期EDのキャラデザはこんな感じ。…う、う〜ん…何か同人誌みたいだよね。
 
でもね、だからって「我が家のお稲荷さま。」っていうアニメが嫌いになることはないし、蔑もうとか、嗤いねのタネにしようっていう気にもならないんですよ。
件のEDに関しても、ちょっと「らき☆すた」の「もってけ!セーラーふく」とか「涼宮ハルヒの憂鬱」の「ハレハレ愉快」みたいな感じを狙ってやってるんだけど、作画のレベルが追い付いてない感じが残念感はあるものの、曲がいいし(僕はFuntaさんの作るアニメソングのファンなのです)、ゆかなさんのヴォーカルが可愛いので全然問題ナシ。
何だったら、この作品の魅力である、独特な「ゆるさ」にマッチしていて、このくらいの作画でちょうどいいんじゃないのかなぁ、とか思ってるくらいです。
 
 
■そもそも、昔は「作画」なんて気にしてられなかったわけで…。
 
現代のアニメを離れて、昔のアニメを見てみると分かるんだけど、アニメの作画レベルってムチャクチャなんですよ。一昔前まで。
例えば、MXテレビで「ドカベン」の再放送をやってたんだけど、シーンが変わるごとに岩鬼の学生服の色が変わったりする。
ガンダム」みたいな名作アニメもご多分に漏れずで、ガンダムのデザインがエピソードによって明らかに変になったり、色の塗り間違えなんかも結構あるんです。

↑アンテナの色を塗り間違えちゃったガンダム
 
機動戦士Zガンダム」では、「汚名返上」ってセリフが脚本家のミスで「汚名挽回」になってたりとか、毒ガスのタンクに書かれた「DANGER」って文字が「DANGAR」になってたりとか、これなんか今だと、ネットでネタにされちゃったりするんだろうな〜(ヤシガニとかキャベツ的なニュアンスで)ってシーンが多々あって、結構ヒヤヒヤする(笑)。
 
まぁ、もちろん時代も違うし、制作環境も今とは全く違うんだろうから、比べるものでもないんだろうけど、それでもそんなギリギリな環境の中で「名作」と呼ばれるアニメを生み出したスタッフの熱意に、僕なんかは「スゲェー!」ってなるんですよ。
あと、そんな名作でも「スキマ」みたいなものがあるところに、余計に愛を感じてしまう。

で、恐らく昔のアニメファンは、その辺に関しては凄く寛容だったんだと思うし(そもそも、作画云々という概念がなかったのかも知れないけど…)、そういう時代だったからこそいいアニメが沢山作れたんじゃないか、と。 
今のアニメファンが、作画至上主義(まぁ、実際のトコロ、そんな人たちは極々一部なんだろうけど…)で、少しでもおかしな部分があると内容を見ずに、そこばっかり袋叩きにしちゃうのは実は凄くもったいないことではないかぁ、と僕は思うわけです。
 
 

■「綺麗さ」を最上の価値とするのは、アニメファンだけ?
 
話がだいぶ飛躍しちゃうかもしれないんですけど、ここまで、ある表現文化に対して「綺麗さ」を最上の価値とする文化って割と珍しいと思うんですよ。
例えば、僕はアニメと同じくらい、音楽や映画が好きなんですけど、それらの表現手段では(「インディー」という文化圏に根ざしているという地の違いはあるが)アニメ程、「綺麗さ」に主軸が置かれていない気がします。
例えば、僕が尊敬する映画監督のジョン・カーペンターが作った映画なんていうのは、もう本当に低予算でストーリーもシッチャカメッチャカだったりするんだけど、見ると「これぞ、カーペンター!」っていう個性が、全編にわたって必要以上に主張を繰り広げており、抜群に面白い!

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音楽だと、90年代に、それまでのMTV市場主義のハイファイな音楽に対して、「ローファイ」というムーヴメントが起き、PAVEMENTやFOLK IMPLOSIONみたいな「下手さ」「音の悪さ」をアイデンティティーにしたバンドが登場。この辺のバンド、今聴いても新鮮で実に良い味だしてるんですよ〜。
 
PAVEMENT / STEREO

 
PAVEMENTに比べたら、「らき☆すた」のOPの面白さっていうのは、テクニック市場主義のヘビメタみたいなもんだと思うんですよ。
もっと、おもしろさの基準っていうのは人それぞれにあって然るべきなわけで、「作画」っていうのは絶対の判断の基準にしちゃうっていうのは…ねぇ…。
 
 
■そんなに「作画」「作画」言わなくても・・・。
 
作品を評価する際に、一番重要なのは、その作品を「好きか、嫌いか」でいいと思うんですよ。
せっかく色々なアニメがある、個性のある作り手がいる文化の中で、何も一つの価値基準で作品の良しあしを判断することはないんじゃないかな、と。
僕が、「我が家のお稲荷さま。」を好きな理由は、ただ単純に「好き」なだけですからね。
 
作画、作画言わなくても、もっと単純に「俺は、これが好き!」でいいんじゃないかな?