「たまこまーけっと」とジャンプカット

 

 
たまこまーけっと第10話「あの子のバトンに花が咲く」を視聴。京都アニメーションの十八番と化した感もある"学園祭"をテーマにしたエピソード。学園祭というハレの日に、ティーンエイジャーの青い春を託して描くのが、京アニは本当に上手いなと思わされる安心のクオリティー。素晴らしかった。
 
ところで、劇中で特に強く印象に残ったのが、学園祭当日に至るまでの青春のもどかしさに満ちた少女たちの姿や、クライマックスのバトントワリングを画面に切り取る為の撮影技法…"ジャンプカット"の多さだった。
 
今回のエントリでは、「たまこまーけっと」とジャンプカットについてアレやコレやと。
 
 

■「たまこまーけっと」とジャンプカット

「あの子のバトンに花が咲く」で特に目を引いたジャンプカットの多用。思えば、「たまこまーけっと」は、ジャンプカットの多い作品だった。そもそも、物語のスタート地点の時点からしてジャンプカットが使われていたのだ。
 

 
放課後、家路へと急ぐ少女たち。主人公のたまこがデラと出会う、その寸前の"日常"を描いたシークエンス。日差しを避けて次々に飛び上がった少女たちの身体は…劇中時間と共に文字通り"ジャンプ"する
 
物語の冒頭から、軽やかにカメラをジャンプさせてみせた「たまこまーけっと」は、その後も度々ジャンプカットを使用する。反対に、ジャンプカットと同じくアート系、ミニシアター系の映画で頻繁に使用される"長回し"の使用は控えめだ。劇中でのゆったりとした時間経過、穏やかなストーリー展開の印象とは正反対に、意外にも…「たまこまーけっと」のカメラ(というか、撮影後の編集術ですよね)は忙しい。
 
あくまで、個人的な主観の中で…という前置きをした上で…映画の世界では、ジャンプカットはアート性、もしくは、アクション、エンターテインメント系作品においてのスピード感の追求の為にしばしば使用をされている撮影技法だと認識をしているが、アニメの場合はどちらかというとデコレーション、エッセンスとして飛び道具的に使われているイメージがある。
 
では、「たまこまーけっと」の場合はどうか? これも、"映画史"的な意味付けというよりは、あくまでアクセント的に使用をされている印象だ。話は「あの子のバトンに花が咲く」に戻るが、あのエピソードの中で、みどりの涙と鼻水を拭い取るシーンで使われたジャンプカットなんかがその最たる例だろう。鼻をかむのにジャンプカットを用いる。そこに前衛性や難解さは存在しない。あるのは、あくまでポップで軽やかなイメージだ。結局は、あの第一話のアバンで描かれた少女たちのジャンプ…に、「たまこまーけっと」のジャンプカットは集約をされているのかな、と思う。
 
過剰さとギリギリのバランスを取りながら、ポップでちょっぴりビザールなイメージを形作る、それが「たまこまーけっと」のジャンプカット。本作を語る上で、やっぱり避けては通れないファクターだ。
 
 

■うさぎ山商店街とジャンプカット

…等と、中途半端で半可通な映画との比較論はさっさとうっちゃって、もっとグッとアニメに…「たまこまーけっと」という作品に寄った上での本作におけるジャンプカット論を考えてみたい。そこで御登場を願いたいのが、本作の舞台になっている「うさぎ山商店街」の皆さんだ。
 

 
たまこがデラや友人たちと暮らしている「うさぎ山商店街」。また、商店街だけではなく学校の校章など、本作には度々、うさぎのモチーフが登場をする。勿論、月で餅を搗くという、うさぎにまつわる民間信仰が根底にあるのは間違いないが、ここはうさぎの"跳ねる"姿に"ジャンプ"カットを重ね合わせてみてはどうか
 
ピョコピョコと跳ねまわるうさぎの姿と同様に、「たまこまーけっと」のジャンプカットは、いずれもどこかコミカルで、とてもチャーミングだ。うさぎとジャンプカット。うさぎをモチーフとした商店街、そこに暮らすかわいいもち屋の娘…を主人公に据えた「たまこまーけっと」が、ピョンピョンとジャンプカットを多用するのは、何だか強い必然性があるような気がしてくる。
 
"アート"ではなく、あくまで観る者の心を弾ませる、跳ねさせる為の"ジャンプカット"。軽やかに、そして、ポップに飛び跳ねる「たまこまーけっと」という物語。このまま、最後まで跳ね続けて欲しいなと強く思う。