「たまこまーけっと」は人生(俺の)

 

 
ちょっとノンビリ気味で、少しタイムラグは出来てしまったけれど、今年の1月から3月に夢中になって観ていたアニメ作品の総感。とにもかくにも、この作品に関してはキチンと感想を書いておきたいということで、ピックアップをするのはたまこまーけっと
 
そんなこんなで、今回のエントリでは「たまこまーけっと」についてのアレやコレやを!
 
 

■「たまこまーけっと」の魅力とそれを言葉にする難しさ

先ず、自分の本作に関するフィーリングの結末を最初に書いてしまうと、「たまこまーけっと」は物凄く好きなアニメ作品だった。その「好き」というのは、本作にまつわるCDを購入し、BDを予約購入し、事ある毎に観返す…というような…そういう熱量を持った「好き」だ。早い話が、自分は「たまこまーけっと」というアニメ作品に"ハマった"
 
とは言うものの、本作に対する「好き」という気持ちやポイントを整理して他人に説明をするのはちょっと難しい。キャラクターは可愛く、音楽は素晴らしく、穏やかなストーリーは自分好みだったし、アニメーションは良く動く。ジャンプカットを多用した画面作りもおもしろかった。ただ、そういう良かった点を次々に挙げることはできても、何が自分にとって決定的に"ハマった"ポイントだったのかを挙げるとなると、ちょっと言葉に詰まってしまうのだ。
 
たまこまーけっと」は、本当におもしろいアニメだった。じゃあ、何がおもしろかったかというと、コレはちょっと具体的に答えづらい。「先ず、BGMが良くて…OPやEDも良くて…キャラクターも可愛かったし…」と表層的な部分のフィーリングを答えることは容易でも、その核となる部分を説明しようとすると、その辺りのエモーションを言語化することはなかなかに困難だ。たまこまーけっと」の魅力は捉えどころがない。それでいて、何度も何度も本編を観返してしまう。「たまこまーけっと」はおもしろい。だけど、同時に難しい作品だな、とも思う。
 
商店街に暮らす少女がある日喋る鳥と出会い、そこから物語は始まる。少女は、幼い頃に母親を亡くしており、心の底に拭い切れない喪失感を抱いてはいるけれど、家族や友達は皆、彼女に対して優しく温かい。商店街の人たちも無邪気で良い人ばかりだ。喋る鳥や異国の少女、果ては王子様が突然やって来ても、それをアッサリと受け入れるおおらかさに満ち溢れている。ストーリーのクライマックス、少女は自分が育った商店街の大切さに改めて気付き、周囲の人たちもまた、彼女が自分たちの生活に如何に大切な存在だったのかを知る。こうして、少女の前には商店街で暮らす穏やかでハートフルな日常がまた戻ってくる。やかましく、あつかましい、奇妙な…そして、新しい家族を加えて…。
 
 

■「たまこまーけっと」に溢れる"ポップ"

こうして、「たまこまーけっと」というアニメ作品のストーリーを振り返ってみると、本当にこのアニメは優しい作品だな、と思う。主人公のたまこのキャラクターが、そのまま作品そのもののイメージに繋がっているような天真爛漫なアニメだ。
その辺りの魅力が凝縮されたようなOP映像と音楽の多幸感ったらない。シルクハットと魔法のバトンを持った少女の動きに併せて、商店街が文字通りウキウキと動き出す。ネオアコ的な音作りと技術的にはちょっと拙い…でも、味のあるヴォーカルの相性も良い。ポップな色合いやモチーフの数々も相まって、本当にワクワクするような…「たまこまーけっと」という物語の冒頭を飾るに相応しいOPに仕上がっていると思う。
 

 
結局、「たまこまーけっと」の魅力はここに集約されるのかな、とも思う。つまりは、普遍性のある"ポップ"さ。毒やアイロニー、トラジェディーで人を惹き付けるのではなく、徹底的にポップなモチーフを用いて人を楽しませることにエネルギーを注いだアニメ。京都アニメーションが持つ超絶技巧。そのリソースを穏やかな日常を描くことに全て用いるという贅沢さ。まじりっけのない"ポップ"というのは、その魅力を言葉にするのは難しいものだ。ただただ楽しく、ひたすらに明るい…そういうピュアネスは、スルリと人の心に入ってくる。理屈じゃないから、その魅力をアウトプットしようとすると苦労する。
 
たまこまーけっと」は難しい。でも、ひたすらにポップだ。だからこそ、その魅力をこうしてまとめようとすると言葉は機能不全を起こしてしまう。例えば、反骨精神と悲劇性が同居するロック・ミュージックの魅力を語る言説は世の中に山ほどあるけれど、本当に優れたポップ・ミュージックについて語るメディアというのは、驚くほどに少ない。それに近しいフィーリングを「たまこまーけっと」というアニメ作品には感じるのだ。
 
 

■「たまこまーけっと」は人生

では、そんな作品に自分が惹かれたきっかけは何だったのか? 「涼宮ハルヒの憂鬱」や「けいおん!」や「日常」や「氷菓」…といった京都アニメーションの作品群の中で、この「たまこまーけっと」にこそ何より夢中になった、そのフィーリングの基盤となったのは何だったのか? 凄まじくシンプルで、とてつもなくパーソナルな話なのだけれど、それは、自身の人生経験、歩んできた道のりに依るところが大きい。
 
■地方出身者による個人的な音楽体験から考える「たまこまーけっと」の"music roots"
 
上記のエントリでも書いたように、私は学生時代を福岡という地方都市で過ごした。当時は、音楽に夢中になっていたわけだけれど、その時、自身の"憧れ"になっていたのが、所謂"渋谷系"と呼ばれる音楽であり、文化圏であった。全盛期のそれには世代的に乗り遅れてしまったけれど、それでもまだまだ渋谷系的な音を出すバンドが東京では活躍をしており、そんなシーンに対して自分は強い憧れを持っていたのだ。
 
そして、「たまこまーけっと」は、そんな渋谷系の流れを組む作品だ。本作の音楽を手掛ける片岡知子さんは、後期渋谷系を象徴する名バンド、instant cytronの元メンバー。更に、このバンドは福岡出身のバンドでもある。個人的には思い入れも一入だ。そんなメモリーも込めて、「たまこまーけっと」の音楽には完全にやられた。
 
<インスタント・シトロン / My Melodies>

 
また、主人公であるたまこの実家がお餅屋さんという設定も良かった。今は全く違う業種で働いているけれど、私は和菓子屋で働いていた経験があり、例えば劇中のお餅を作る工程であるとか、お餅の種類といったディティールが体験的に"分かる"のだ。そこで作り手のこだわりであるとか、演出的な意匠なんかも汲み取れる。また、自分には不動産屋勤務の経験もあったので、大工の娘であるかんなちゃんが使う道具や描いた家の図面のようなディティールなんかも同じく身近に感じることができた。
 
たまこまーけっと」は、こんな感じで、自身の実人生と重なる部分が非常に多いアニメだった。そこが、興味のとっかかりだったのは間違いないと思う。本当の意味での"好き"になった理由というのは、ここまでで書いてきたようにちょっと説明しづらいのだけれど…。
 
ただ、個人的にこの作品を通して強く思ったことがある。学生の頃に福岡でロックミュージックを夢中になって聴いたり、映画を観たりしていた頃は、大人になったら、年を取ったら感性はどんどん衰えていくものだと思っていたのだけれど、本当はそんなこと全然ないということだ。寧ろ、大人になって人生経験を積んだ方が、言葉も音も映像も若い頃なんかよりもずっとずっと心に響いてくる。
思い出と体験の蓄積が多い分だけ、様々な表現に対してとっかかりが出来るし、細かい部分も分かってくる。それこそ、恥ずかしい話だけれど、職を転々とした自身の経験があったからこそ、「たまこまーけっと」の様々なモチーフにも理解と興味が及んだように。
 
たまこまーけっと」は文字通り、自分にとって"人生"だ。このアニメを観ている時、度々、自身の歩んできた道のりに思いを馳せることがあった。超個人的で、他者とは共有しがたいフィーリングではあるのだけれど…この作品に流れる不思議な魅力と同様に、このアニメを大好きになった重要なポイントではある。
 
たまこまーけっと」は人生…と書くと、余りにも大袈裟だろうか? だけど、人生とまで言い切れる、共感をできるアニメに出会えたことは、何よりも幸せな経験だったと思う。
 
 
 
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