「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」が紡いでいく多様なイメージの連鎖について

 

 
先日から始まった新アニメソ・ラ・ノ・ヲ・ト。新プロジェクト「アニメノチカラ」によるオリジナルアニメ第一弾の作品ということもあり、今期の新番組の中でも放送前から非常に注目をされていた作品だと思うのですが、その期待値に応えるように放送後から様々な意見や感想がweb上にアップをされています。
 
ざっと読んでいっただけでも面白い意見が色々とあったのですが、中でも特に興味深く思ったのが「karimikarimi」様による以下の指摘でした。
 

ここまで多様性があるのってすごいことなんじゃないですかね。けいおん!かんなぎらき☆すたストライクウィッチーズジブリ生徒会の一存でARIAで灰羽連盟ヴァルキュリアヨコハマ買出し紀行エルフェンリートで舞HIMEで∀ガンダムキングゲイナーって、何が何だか分からない! 素敵! まるで、「〜〜に見えた」っていうのでその人の視聴特性が分かる試しの儀式みたいな感じまでしてきます。
 
■「ソ・ラ・ノ・ヲ・トは○○っぽい」まとめ ソラノヲトの多様性(karimikarimi)

 
ここでの「その人の視聴特性が分かる」という指摘は、非常に的確な、なおかつ面白い指摘であるように思います。というのが、この「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」は、様々な連想やイメージの喚起を発生させるエネルギーがある上に、見る人の趣味や嗜好によって、受ける印象やイメージが様々に分かれる作品であるように思うのです。
 
かくいう私も、イチ視聴者としてこのアニメに接した際に、実に様々なイメージを強烈に意識させられました。そこで今回は、自身が「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」という作品に対して持ったイメージについて触れつつ、第一話の感想文を書いてみたいと思います。
 
 

■「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」の舞台設定

物語の舞台、架空の街・セーズのモデルとなったのは
スペインの城壁都市クエンカとアラルコン要塞。
2009年3月、スタッフは現地でロケハンを敢行しました。
限られたスケジュールの中、集められた膨大な資料をもとに、美術監督甲斐政俊と、
セットデザインの青木智由紀が、独創的なフューチャーワールドを描き出します。

 
公式HPに記載をされた上記のテキストの通り、「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」はスペインをモデルにした架空の都市が舞台になっており、事前の綿密なロケーションに基づいて構築されたであろう美しい背景と世界観が先ず目を引きます。
 

 
そして、ここから私のイメージの連鎖も始まっていったのですが、そこで連想したのは「けいおん!」や「ARIA」や「かんなぎ」や富野由悠季監督のアニメやジブリ映画…といったアニメ作品というよりは寧ろ、昨年劇場で観たウディ・アレンそれでも恋するバルセロナジム・ジャームッシュ「リミッツ・オブ・コントロールという二本の実写映画でした。
 

 
それでも恋するバルセロナ」は恋愛に対して徹底的に奔放でエゴイスティックな男女が辿る愚かしい結末を描いたウディ・アレンらしい毒の効いたコメディ作品、「リミッツ・オブ・コントロール」はイザック・ド・バンコレ演ずる謎の殺し屋が、視覚的・聴覚的イメージに満ちた世界を旅しながらターゲットを追い詰めていくビザールなフィルム・ノワールといった趣の映画。ジャンルは違えど、この二つの映画はどちらもスペインが舞台になっているという共通項があります。
 
ウディ・アレンジム・ジャームッシュ。米国の映画監督で、私が作品を敬愛して止まない二人が、2009年に日本公開された新作映画でスペインを舞台にしていたのは、昨年の個人的な映画史の中で非常に印象深いトピックだったのですが、2010年に突入した途端、今度はアニメでスペインをモデルにした都市が描かれた。
 
それでも恋するバルセロナ」「リミッツ・オブ・コントロール」「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」、スペインという国を共通項にした、このイメージの連鎖…というには、それらを繋ぐそれぞれの要素は余りにもバラバラな位相に存在していて、個人の内的かつ主観的なイメージの中でしかリンクはされえないのですが…は、この作品に対しての「引っ掛かり」を作るのに十分でした。
 
そして、この「引っ掛かり」を出発点にして「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」というアニメ作品は、私の中で更なるイメージの広がりを見せ始めるのです。
 
 

■祭りのシーンからザ・ポーグス、そしてジョー・ストラマー

偶発的に、しかしながら私個人の主観の中では余りにも必然的に、スペインというロケーションを媒体として、私の愛するジャームッシュ映画と繋がった「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」。
作品の冒頭からそんなイメージを持って視聴をしていた私が、劇中での祭りのシーンで思わず英国のアイリッシュ・トラッド・パンクバンド、The Poguesの名曲「Fiesta」を連想したのも、これまた必然であったと思います。
 


 
お祭りの躁的な歓喜のアニメーションと、このThe Poguesのフェスティバルの狂騒を描いた曲のイメージが見事にシンクロを果たし、自分の頭の中で瞬時に同期再生をされたわけです。
 

 
ここから更に、個人的に最高に幸福で、エキサイティングなイメージの連鎖が続くのですが、このThe Pogues、ミュージシャンとしてではなく、実はメンバーが俳優として映画に出演をしたことがあるんですね。その映画というのが、アレックス・コックス監督が録った風変わりな西部劇ストレート・トゥ・ヘル
 
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更に、この映画にはジム・ジャームッシュが俳優としてゲスト出演を果たしているのです。そして、そんなジャームッシュやThe Poguesの面々とこの映画の中で共演を果たしているのが英国の偉大なるパンクバンドThe Clashの中心人物だったジョー・ストラマー
 


 
ジョー・ストラマーはThe Poguesに短期間ながら一時期在籍をしたり、ジャームッシュの映画「ミステリー・トレイン」に出演をしたりと、今までに名前を出してきたような映画監督やバンドとの結びつきが強いミュージシャンだったのですが、残念ながら2002年に心臓発作で自宅のソファに座ったまま天に召されています。
そのジョー・ストラマーは晩年、スペインという国に非常に強い興味を抱いていて、スペインで映画や音楽などの創作活動を行ったり、生活の基盤を持つことを望んでいたと言います。
そして、ジョー・ストラマーの死後に、その意思を引き継いでジム・ジャームッシュがスペインを舞台に録った映画が「リミッツ・オブ・コントロール」なのです。
 
そう、全ては繋がっているんですよ!
 
ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」で描かれた映像や音のイメージ、それら全てが私にとってはこのエントリで名前を出してきたような映画やミュージシャンのイメージを結びつけ、次々と連想をさせていくのにエネルギッシュなパワーを発揮しました。アニメの後半なんて、ジョー・ストラマーという偉大なミュージシャンを失ったショックを思い出してしまい、その悲しみからストーリーの流れがほとんど頭に入ってこなくなった程です。
 
 

■「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」が喚起する奔放なイメージ

さて、ここまで長々と書いてきたようなイメージの連鎖、そしてそこから生まれる興奮や多幸感や、或いは悲しみといった感情の動きは、果てしなく内的かつ主観的なものであり、他の人とのイメージなり感動なりの共有をしようとしても不可能な類のものでしょう。
しかしながら、一見突拍子もなくかけ離れているように見えるそれらのイメージの数々は、人によってはまるで一斉にスイッチを入れるが如く、同期され強烈に結び付けられるものだとも思うのです。
 
日本のアニメ作品とアメリカの実写映画と英国のアイリッシュ・パンクバンドとジョー・ストラマー。それらを構成する個々の要素は余りにもバラバラで、でも実は繋がっているようで、こうした各作品のイメージを結びつける心の働きは人それぞれであり、個々のアーカイヴ的な嗜好に大きく影響をされる部分だと思います。
ここで注目すべきなのは、ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」というアニメはそうしたイメージや連想をさせるパワーとオーラに満ちた作品であるという事実です。
それはある人にとっては「けいおん!」や「ARIA」ジブリ映画であり、またある人にとっては実写映画やパンクバンドであったりするわけですが、各々がそれぞれに多様な作品のイメージを「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」から連想をした、という事実は非常に重要だと思います。
 
では、何故、「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」という作品には、そうした多様なイメージを喚起させるパワーとエネルギーが存在しているのか?
 
まだ、第一話の時点ですし、作品の全容も見えない中で、そうした部分についてあれやこれや書くのは無粋で軽率なのですが、第一話を見た時点で一つ思ったのが、その作品世界のイメージの混在と透明性の高さです。
 

 
既に様々なBLOGで指摘をされていることですが、「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」は事前にロケーションを行い、スペインという特定の国を作品世界の下敷きにしているにも関わらず、様々な国のイメージ(というか、オリエンタル・イメージに限定されているかもしれません)が混在しています。
こうした描写から、それぞれの受け手による多様な解釈とイメージの連鎖が生まれてくるのではないか? とはいえ、ストーリーも作品の魅力も、まだまだ、この先のエピソードを見てみないと分からない部分ではありますが、現時点ではこの混在したイメージと、そこから派生する無国籍感=作品世界の透明性が受け手のイメージの多様性を広げているのではないかという印象を受けます。
 
 

■まとめ

繰り返しになってしまいますが、こうした受け手のイメージは本当に人それぞれで、そこから受けた印象や感動をこうして文章に起こしてみたところで、他の人との共有は難しいものだと思います。
勝手なことをアレコレ書くのは控えて、口をつぐみ受けたイメージは己の胸に閉まっておくべきなのでしょうが、やっぱりこういうのは形にして残しておきたいし、何らかの形で人に伝えたいよね、っていう気持ちとkarimikarimiさんが本当にタイムリーで素晴らしいエントリを書かれていたので、勢いでガーッと書いてみました。
他の人が「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」から、どのようなイメージを受けたかっていうのは興味がありますし、気になるところではあります。色々とエントリなんかで読んでみたいですね。
 
 

■おまけ

OPや劇中のイメージとはまた異なる、戸松遥さんの歌う元気一杯のED曲は最初に聴いた時にビックリしたんですけど、実は凄く良くできた曲だと思います。
 

 
また、曲調が自分らの世代には懐かしいスカパンク調なんですよね。
主人公がラッパの吹き手ということで、作品やキャラクターのイメージ=管楽器(ホーンセクション)と、声優アイドルソングとしてのポピュラリティの中間地点がスカパンクということなんでしょう。何というか、この辺もコンセプトがよく練られてるな〜と思います。