大好きな漫画やアニメのエロパロって、許せる? それとも、許せない?

tunderealrovski2008-12-14

 
少し前に、当Blogで18禁同人誌に関するエントリーを書かせてもらったんですが、今月に入って、そのエントリーにコメントやトラックバックをいただきました。
 
このエントリーを書いた当時「ふぇいばりっとでいず」様を始め、いくつかのニュースサイトで取り上げていただき、参考になるコメントを色々といただけたりしたんですよ。
で、今月に入って(冬コミが近づいているからでしょうか?)、ありがたいことに「駄文にゅうす」様で再び掲載をしてもらえたみたいです。
 
そこで、いただいたトラックバック先のエントリーが本当におもしろくてですね。
 
全体を見ないで一部分に突っ込み−ポリバケツブルー -番外編-
 
「ARIA」同人活動をされていた方による現場の生の声なんですけど、「成人向けのサークルに人がほとんど寄り付かなかった」っていうのは、とても興味深いお話です。
 
オンリーイベントとかになると、作り手も買い手も、その作品を本当に好きで好きでたまらない人たちが集まるのでしょうから、その中で「エロパロ」をやっちゃうっていうのは、確かに周囲から浮いちゃう行為なのかな〜と思います。
 
もちろん、この場合は「ARIA」っていう作品の雰囲気が、エロな目線っていうのと相容れないものであるから、っていうのもあるでしょうね。
例えば、これは「涼宮ハルヒの憂鬱」とか、アニメファンに対して、比較的セックス・アピールの強い作品とかの場合は、また事情が違ってくるのかもしれません。
 
そういうのを踏まえた上で、前のエントリーにいただいたコメントを読んでいたら、またおもしろくてですね。匿名の方からいただいた意見なんですけど、
 

本当に好きな作品のエロ同人誌は買わないけど、それほど好きでもないが割と好きな作品のエロ同人誌は買うとか、そういう萌え用(神聖視)の作品とエロ用の作品を分けてる人も多いんだと思う。それをオタク市場全体で見るとごっちゃに見えるから萌えとエロが両立してるように見えるんじゃないかな。

 
っていうコメントがありまして、コレは読んだ時に「成る程!」って思いましたね。
 
「神聖視」って言い方は言いえて妙って感じがします。
 
 

■エロパロを許せる作品と神聖視している作品

もう、恥知らずにも、性癖とか嗜好がモロバレになるのを気にせずに書きますけど、僕は成人漫画でも活躍されているオノメシン先生の描く女の子が大好きなんですね。
 
で、フリークス(オノメシン先生のサークルです)の18禁同人誌とかかなりの数を持ってるんですけど、今年の夏コミでフリークスが作った同人誌のネタが、僕の大好きな「我が家のお稲荷さま。」だったんですよ。
 
コレはね〜、買うかどうかめちゃくちゃ迷いましたね〜。しかも、表紙のサンプルを見てみたら、オノメシンタッチで描かれた、くーちゃんがメチャクチャ可愛いんだもの。(まぁ、でも本の中では、多分ムチャクチャやらされとるわけだが)
 
で、結局悩みに悩んだ末に、買いませんでした。
 
なんで買わなかったかというと、「我が家のお稲荷さま。」ってアニメ(もちろん、原作のラノベも)が大好きで、出てくるキャラクター、好きなキャラクターをエロパロのフィルターで穢されたくない! っていう本能が働いたわけですね。
もちろん、エロに限った話じゃなくて、例えばグロとか、あんまりブラックなギャグが入ったパロディーでも受け入れなかったと思います。パロディーが入ってくることによって、自分の愛する世界感にノイズが入るのが嫌〜! というわけです。
 
でも、例えばオノメシン先生の同人誌でも、ドラクエだのパチスロキャラだのQMAだの魔女裁判だののエロパロは全然OKです。自分の趣味、嗜好と離れた作品なので、二次創作によって世界観が崩れようが、キャラクターがエロ目線から描かれようが、ノープロブレムなわけです。怖いもの知らずです。高山善廣大森隆男が言うトコロの「いくぞ! No Fear!!」なわけです。
 
僕は、工藤洋先生の大ファンでもあり*1
 

 
やっぱり同人誌を集めてたりするんですけど、例え大ファンである工藤洋先生が作った同人誌であっても、「ひだまりスケッチ」のエロパロとかは見たくないものなぁ…。元ネタの漫画やアニメを好き過ぎて耐えられない、みたいな。
 
まぁ、僕の場合は18禁の同人誌に対して、単純にエロ漫画、あるいは好きなエロ漫画家さんが描いた漫画として接しているので、その「好き」っていうのは、「スケッチブック」だとか「我が家のお稲荷さま。」だとか赤根和樹監督のアニメだとかの、自分が好きなアニメや漫画(神聖視している作品)への「好き」っていうのとは、微妙な隔たりがあると思うんですよ。
 
自分のスケベ心を認めつつも、一方で自身の愛する作品に対してはエロのバイアスがかかることを望まない人間なので、「神聖視している作品」と「エロパロ」の間に、境界線を引いているというか、ゾーンニングみたいなことを割と意識して行っているわけです。
 
もちろん、同人に対する態度っていうのは、人によって千差万別なわけで、「自分の好きなキャラクターのあられもない姿」を見るためにエロパロを好んで買っている、というアニメファン、漫画ファンもいらっしゃると思います。
「かがみん萌え〜」とか「つかさは俺の嫁」とかキャラクターへの愛情を口に出しつつも、コミケで「らき☆すた」のエロ同人誌を買い漁ってたりする、割と器用なファン層ですね。
 
残念ながら、僕はそういった「濃い」人たちと知り合ったり、お話をしたりする機会がなかったので(なんせ、引き篭り気味な人間なもので……)、深い嗜好や考え方について知る術がないんですが、そういった人たちの中でもエロパロを「許せる」作品と「許せない」作品とがあるのではないでしょうか? で、それを判断する材料っていうのは、自身のこだわりや倫理観かもしれないし、作品の雰囲気なのかもしれない。
 
「神聖視する作品」と「エロ用の作品」っていうのは、やっぱり的確な分け方といいますか、アニメや漫画が好きな人なら、やっぱり各々の中で確かに存在している価値判断の基準だと思います。
  
この辺の感覚って、第二次性徴以降の、初恋とかに通じるもんがありますよね。
 
 

■「萌える」という行為は、思春期の恋愛感情に似ている。

 

これって、クラスの本当に好きな子はオカズにできないけれども、2番手以下のかわいい子はオカズ要員として……てのと一緒のハナシじゃね? ヲタ云々はあまり関係ないと思フ

 
これまた、「自分の好きな作品がエロパロの対象にされるのは許せない!」っていう自分の考えを書いたエントリーでいただいたコメントからの引用です。
かなり露骨な例え(でも、実に的を射ていると思います)なんだけど、この辺の微妙な感情って、ホントそういうのに近いのかもなぁ〜と思ったり。
 
そういった複雑な葛藤を、小説の世界で見事に描いたのが、大槻ケンヂ氏の傑作青春小説「グミ・チョコレート・パイン」ですよね。
 

グミ・チョコレート・パイン グミ編 (角川文庫)

グミ・チョコレート・パイン グミ編 (角川文庫)

 
この小説の中で、主人公は馬鹿にしている他の同級生(女生徒)に対して、あらぬ性妄想を繰り広げることで、思うようにいかない高校生活の鬱憤を晴らすんですけど、恋愛感情に近い親近感を感じているヒロインの女学生に関しては、そういった妄想を行わない、自分の中での一線を守り続けるんですよ。
で、ちょっとネタバレになっちゃうんですけど、劇中でその禁忌を破った瞬間に、主人公はどうにもならない現実に対して、真の意味で敗北をしちゃうわけで。
 
グミ・チョコレート・パイン」は、思春期の妄想と葛藤と希望と絶望を、見事に描ききった名作だと僕は思うんですが、アニメや漫画のキャラクターを好きになった時って、こういう思春期特有の心性みたいなものが心の中に浮かびませんか?
 
大人である以上、異性(あ、人によっては同性の場合もあるのか)に対する「好き」っていう感情には「性」っていう厄介なモノが付き纏うわけですが、アニメや漫画で描かれるキャラクターに対しては、そういうややこしい現実的な問題っていうのとは、距離を置いて接したいと思うわけで。
 
「萌え」って言葉が出始めの頃に、「『萌え』とは、恋愛感情から性欲を抜き取ったものだ」なんて解説を見かけたものですが、その辺の微妙で複雑な感情を表現するのに、やっぱり「萌え」って言葉はとても便利なものだったんだな、と思いますね。
 
そう考えると、アニメや漫画のキャラクターに清純さを求めたり、「萌え」ることでキャラクターに愛情を注ぐことと、エロパロの同人誌を買い求めることは、実はベクトルが全然違うことで、何ら矛盾しないことなのかもしれません。
 
で、変なこだわりを持つことなく、オリジナルの作品と、それをネタにしたエロパロを分け隔てなく愛せる人っていうのは、「好き」と「性」の関係性っていうのと心の中で折り合いが付いている人なのかもしれない。
 
でも、エロパロは確かに存在しますが、そういうパロディーが入り込む余地がないくらいに愛している作品、キャラクターっていうのは、アニメや漫画が好きな人なら、必ず一本はあるんじゃないでしょうか?
 
僕は、そういう青臭い感情、何だか好きだなぁ〜。
 
そういう思い(まぁ、物凄く独りよがりな区分線の引き方な訳ですが…)を、ファンに引き起こさせてくれる漫画やアニメに出てくるキャラクターのパワーっていうのは、やっぱり特別なものだと思いますし、それに「萌える」ファンのエネルギーっていうのも、凄くエネルギッシュで、僕はいつも魅せられちゃいますね。
 
 

 

*1:自分で書いてて何だけど、オノメシン工藤洋が大好きって「胸の大きな娘が好き!」って宣言しているようなもんですよね。何ていうか、まんまだなぁ……。