京都アニメーションはなぜ回すのか? 田村潔司とトミー・リーを見よ!






■京都アニメーションはなぜ回すのか? 「さすがの猿飛」をみよ!(subculic)


敬愛するアニメBLOGである『subculic』さんの秀逸なエントリに便乗しての更新。とはいえ、自分が上記エントリのように深く有意義なアニメ語りが出来るハズもなく、ここは自分なりに"回転"を切り口としてアレやコレやと駄文を綴ってみたい。




京都アニメーションの"回転"

京都アニメーションの作品における代名詞ともいえるアクション、回転。多くの場合、それはキャラクターを中心軸としたカメラの円周運動によって描かれ、"京アニ的"な画面を形作る。


各作品、監督、或いは、演出家毎に勿論、個性の幅はあるけれども、ジャンプカットや長回しといった映画的な演出術を使用することの多い京アニ作品においても特徴的な絵作りで、多くの場合、それらは作画に費やされた膨大なエネルギーやテクニックとセットになって視聴者に強く印象を残すこととなる。


さて、そんな京アニ作品の回転運動だけれども、自分なんかはこの"回転"というキーワードを聞いて、どうしても、二人の"アーティスト"の存在を思い出してしまう。そして、回りまくる京都アニメーションのカメラを目にする度に、この二人のことを連想してしまうのだ。


"回転"をキーワードにリンクされるイメージ、それらの回転運動がもたらす効果、或いは、回転に至ったモチベーション。それらを読み解くことで、京アニ作品における回転についても自分なりの解釈を行うことが出来ればと思う。




■RINGS時代の田村潔司が見せた"回転"

先ず、自分が"回転"という言葉を耳にして即座に連想するのがプロレスラーであり総合格闘家田村潔司だ。





前田日明率いるプロレス界の新興勢力、UWFで"プロレスラー"としてデビューし、UWF崩壊後は、前田と同じくUWFの主要人物の一人であった高田延彦が立ち上げたUWFインターナショナルの所属選手となり、エースとなった田村潔司


"赤いパンツの頑固者"の異名を取る程の特異な精神性と独自の感性を持った田村は、やがて、団体の長である高田に牙を剥き、"真剣勝負"を迫るという大事件を起こす。こうして、UWFインターナショナルという団体内で軋轢を生んだ田村は、高田の元を離れ前田のRINGSへと移籍し、その闘いの場をプロレスから総合格闘技へと徐々にシフトしていくこととなる。


田村が"回転"をしていたのは、まさにその移行期におけるコンテンポラリーなタームだ。RINGSが"KOKルール"というグラウンド状態での顔面への打撃を禁止した以外は、ほぼ総合格闘技のそれとは変わらないルールを設けた新しい時代へと突入する前……かつてのUWFのルール、スタイルを色濃く残した、つまりは"プロレスの延長線上"にまだRINGSがその身を置いていた期間である。


<RINGS / 田村潔司vs.ヴォルク・ハン



グラウンドの状態でアグレッシヴに動きまくり、相手の関節を取ろうと、或いは取られまいとアクションを取り続ける。クルクルとグラウンドで体制を変えながら動き回る、田村の無尽蔵のスタミナによって表現をされたその新しい動きは、やがてマスコミやファンによって"回転体"という呼び名を付けられることになる。


ただし、この"回転体"の動きは、RINGSがKOKルール採用前の"プロレス"と"総合格闘技"の極めて不明瞭な狭間のグレーゾーンにいたからこそ出来たスタイルでもある。現に、KOKルール採用後、そして、総合格闘技イベントPRIDEへと移籍した後の田村潔司は、RINGS時代の自身の代名詞であった回転体運動を止めてしまう。


つまり、"プロレスでありながらプロレスではない"というこの時期の田村が起こしたルネッサンス、自身のファイトスタイルに説得力を持たせる為の革命がこの"回転体"にあったと言えるのだ。


田村潔司という"プロレスラー"にとって、或いは、プロレス界において、従来のプロレスとは違う極めて実践的な……しかし、その本質はあくまでプロレスの範疇にある……というアンビバレンツな表現、それこそが、この回転にあったと言えるだろう。


つまり、田村にとっての回転とは従来の型に囚われない"新しい表現"そのものだったのだ。




HR/HMシーンでトミー・リーが開発した"回転"

そして、京都アニメーションにおける"回転"を観ていて、自分が田村潔司と同じく反射的に連想をしてしまうもう一人の人物が、ロックバンド、MOTLEY CRUEのドラマー、トミー・リーだ。





ヴィンス・ニール、ニッキー・シックス、トミー・リー、ミック・マーズ……ロックミュージックのヒストリーにおける稀代のロクデナシ……しかし、才気に溢れた四人組によって結成をされたMOTLEY CRUE。


ドラッグやヴァイオレンス、女性関係のスキャンダルは日常茶飯事。"LAメタル""グラムメタル"のイメージを同時期に活動していた他のどのバンドよりも色濃く、的確に体現してみせたショッキングなビジュアル、過激過ぎるステージとそのサウンド。しかしながら、実は、ポップなメロディーや涙腺を刺激する美しい旋律を持ったバラードを書くことが出来る、その類稀なるソングライティングのセンス、アルバム毎に次々に変遷、進化をする音楽性……と、"セックス、ドラッグ、ロックンロール"を地で行くスキャンダラスで破天荒なライフスタイルを見せながら、一方で優れたバンド、ミュージシャンであり続けたMOTLEY CRUE。


その過激さ、過剰さを最も端的にビジュアルで表現したのが、トミー・リーの"回転ドラム"だろう。


<MOTLEY CRUE / Girls,Girls,Girls>



HR/HMの歴史に残る大名盤『Girls,Girls,Girls』を引っさげたツアーにおいて、MOTLEY CRUEが見せたのがトミー・リーのドラムセットが360°"回転"するという驚愕のギミックだった。


Tommy Lee - Cruecifly LIVE>



トミー・リーのバンド脱退〜自身のソロ・プロジェクトであるミクスチャーロックバンド、Methods of Mayhemの結成〜MOTLEY CRUEへの復帰という紆余曲折を経ながらも常に進化を続けてきた、この回転ドラム。その過激で斬新なアイデアは今も色褪せることなく、例えば、Slipknotのジョーイ・ジョーディソンのような後続のドラマーにオマージュされる等、HR/HMのミュージシャンに多大な影響を与え続けてきた。


この時期、MTVの影響もあり、米国では空前のヘヴィメタルブームが勃発していた。そのブームの大きさも相まって、ヘヴィメタルバンドのステージもどんどん巨大化、モンスター化をしていた時代だ。そして、そのヘヴィメタルブームを牽引していたMOTLEY CRUEが開発したのが、この回転ドラムなのである。


空中でグルグルと"回転"するドラム。グルグルと回りながらドラミングを続けるドラマー。それは、ロックの歴史において、未だかつて誰も観たことがないスペクタクルな光景であった。こうして、回転するトミー・リーのドラムは、MOTLEY CRUEというバンドの代名詞となっていく。




■最後に

このように、プロレス、格闘技で田村潔司が、そして、HR/HMのシーンでトミー・リーが実践してみせた"回転"。


ここに、私は京都アニメーションの"回転"と同じ意義を見出す。つまり、それは一見して分かる"新しい"動きであり、自身の"技術"を明快に何よりも伝えやすく表現したアクションであり、雄弁に"豪華さ"を物語る贅沢な描き方なのだ。


田村潔司の回転体の動きとMOTLEY CRUEでのトミー・リーの回転ドラム、そして、京都アニメーションでの回転運動……この3つは私の中で密接に繋がっている。プロレスとヘヴィメタル京アニを一緒くたに語るなんて幾らなんでも乱暴なんじゃないかと思われる良識派のアニメファンもいらっしゃるかと思うが、やはり、自分の中ではこれらは"回転"という運動を通して密接にリンクしているのだ。私にとっては、『中二病でも恋がしたい!』とは、つまりはRINGS所属時代の田村潔司であり、『涼宮ハルヒの憂鬱』とはMOTLEY CRUEであった。


そうなると、『涼宮ハルヒの憂鬱』のライヴシーンにおいて、長門有希が魔女の格好をしていたことと、MOTLEY CRUEのベーシストであるニッキー・シックスが一時期黒魔術に凝っていたことへのシンクロニシティについても言及をしておくべきだろう。


さて、そんなMOTLEY CRUEの最後のワールドツアー……日本公演の開催が来月に迫ってきた。もしも、本当にこれがモトリーにとってのラストツアーになるならば、日本でトミー・リーの回転ドラムを目にすることが出来るのもこれが最後となるだろう。京都アニメーションのファンにとっても、彼らの"回転"を生で目撃出来るラストチャンスだ。是非とも今すぐチケット買いにプレイガイドに走って欲しいとモトリーファンの自分は願って止まないのである。


<MOTLEY CRUE / The Final Tour>