ちょっぴり痛々しくて、切ない青春のすれ違い - 「ささめきこと」第9話「ひまわりの君」

 

 
少女小説を愛する少女、蒼井あずさをメインにしたささめきこと第9話「ひまわりの君」
 
いや〜素晴らしかったですね!
 
大好きなものがあって、そのことに真っ直ぐ過ぎるが故に、周りが目に入らず一人で先走って暴走してしまう。そんな、ちょっとだけ痛々しくて、切ない青春がものの見事に描かれていて、原作漫画を読んでいるにも関わらず、感情と涙腺を持っていかれてしまいました。
また、その見せ方っていうのが、物凄く巧いんですよね。
 
こういう素晴らしいエピソードに対して、とやかく言うのは野暮ってヤツですが、ちょっと自分なりに感想文を書いてみたいと思います。
 
 

■喜びや熱狂を描いた、明るくてポップな表現

「ひまわりの君」では、好きな物に対する少女の情熱が描かれています。
蒼井あずさは、少女小説が大好きな女の娘。ただ、大好きな小説に対する愛情を、「好き」という気持ちを公にせずに、自分の中に密かに隠してひっそりと学校生活を送ってきました。
それは何故かいったら、どうやら過去にその「好き」という情熱と周囲の間で軋轢が起こしてしまって、ツライ思いをしたことがあるらしいと、そういう過去がわけですね。だから、周囲に対して慎重になっていたと。
 
ところが、そんな彼女に小さな偶然が積み重なって「純夏」という友だちができます。
友だちができるだけでも嬉しいのに、しかもその人が自分と同じ趣味を持っていて、好きなものに対する愛情を理解してくれるなんて最高ですよね。しかも、過去にツライ目に合っているだけに余計に…。
 

 
それは、もう先走って、暴走してしまってもしょうがないと思うのですよ。
アニメでは、パステル調の可愛らしいタッチで描かれたイメージ(妄想?)シーンや、デフォルメの効いた描写を用いて、この辺りのあずさの熱狂や喜びが描いてあります。
 
もう、そのコミカルで幸せそうな雰囲気は、その後の展開を知っている人間から見ると残酷ですらあります。
実は、その喜びは単なる自分の一方的な思い込みで、自分の熱意はただ単に独りよがりで先走った挙句の暴走でした。その事実を知った時の、あずさの心中を考えると…。
 
 

■熱狂が醒めた後の「切なさ」の巧みな描き方

アニメ版では、その辺りの見せ方が非常に巧く描かれており、本当に素晴らしかったと思います。
例えば、終業式で自分の情熱と友情の念が、純夏の気持ちとの間にすれ違いを起こしてしまう場面。
 

 
あずさの孤独感を彼女の周囲をホワイトアウトさせることで表現しています。孤独感や孤立を表現する場合は、ブラックアウトを使うのがスタンダードな気がするのですが、白色が持つ色のイメージによって孤独なイメージにプラスして、あずさの虚脱感や虚無が見事に描かれているように思います。
 
友だちができて嬉しくて、しかもその友だちと一緒に自分の好きなことをやりたくて…一生懸命に突っ走ってきた思いが途切れた瞬間。ここから一気に、映像はバランスを崩し、目まぐるしく転換をしていきます。
 

 
先ずは、暗転をして場面転換。次の瞬間には、あずさの「大丈夫…平気…」というモノローグに合わせての主観ショット。
 

 
そして、自身の暗い過去である回想シーンを挟んだ後に、カメラを客観的な視点に一気に切り替え、純夏たちがあずさを探すシークエンス、あずさの下校シーンへと転換をしていきます。
 
とにかく、視点の転換や、内面描写と客観の切り替え、そして暗転やホワイトアウトのような画面変化が物凄い勢いで行われ、映像として物凄く不安定な印象を観る者に与えます。画面が次々に変わることで映像自体にグルーヴ感がありますし、信号機の暗喩を使った分かりやすい心理描写なんかも加わって、その見せ方は非常に巧くておもしろい。また、挿入歌やBGMの選曲と使い方も映像と完全にシンクロをしていて本当に素晴らしい演出だったと思います、いや、素晴らしい演出だったとは思うのですが…。
 
それらが全てあずさの心理を表していると考えると、やはりどうにも居た堪れなく、また見ていてとにかく切ないです…。
 
 

■あずさの暴走と、純夏の「ゴメン…」

ここで厄介なのが、この「ひまわりの君」というエピソード、悪い人は誰もいないんですよね。
確かにあずさは、純夏の言動によって酷く傷ついてしまいましたが、それだってハッキリ言ってしまえば彼女の思い込みによる先走った行動によって勝手に傷ついたわけです。純夏があずさに対して曖昧な態度を取り続けていたのも、純夏なりに気を遣っての結果なわけで、決して悪意があったわけではありません。
 
とはいえ、全てをあずさの自業自得と切り捨ててしまうのは余りにも残酷です。
 
家に帰ったあずさは泣きます。自分の部屋にあるノート型パソコン、床に散らばった同人誌の原稿。自分の過去の熱意の残滓を見て、泣きます。
 

 
泣き声を周囲に聞かれるというアクションを通じて、あずさの感情の大きさを、悲しみの深さを伝えるために開けられた窓は、夕日を差し込むことによって劇中での時間の経過を見る人に伝え、またあずさの感情に従ってカーテンを揺らすことで心理描写も行います(この辺の見せ方も本当に上手い!)。
 

 
エピソードのラスト、あずさの部屋にやってきた、純夏、朋絵、みやこの三人。最後に、純夏は優しくあずさに声を掛けます「ゴメン」と。
 
「ひまわりの君」というエピソードは、誰の視点で見るかによって話の印象が随分変わるのではないかと思います。誰が悪いわけでもない、全ては気持ちのすれ違い。
そして、そういう「すれ違い」を汐との間で幾度となく繰り返している純夏だからこそ、あずさの気持ちを敏感に汲み取って、彼女に素直な「ゴメン」という気持ちを伝えることができたのではないかと思います。
そして、そんな純夏でも相手を傷付けてしまうことがあるという切なさですよね。あずさの純夏に対する一方通行の思いは、そのまま純夏の汐に対する思いとも重なるわけで…。
 
 

■まとめ

アニメや漫画が好きな人なら、あずさの同好の友人を得ることができた喜びと、好きなものに対する愛情故の暴走っぷりは感情移入し易いと思います。実際、自分自身も彼女に肩入れをして見ていましたし。
だからこそ、あずさの思い入れの強さが招く悲劇のリアリティっていうのが、物凄くストレートに生々しく伝わってもきました。また、その見せ方、演出っていうのが残酷なくらいに見事なもので…。
 
ちょっとだけ痛々しくて、切なくて、でも、最後は温かい結末を迎えた「ひまわりの君」。自分の中で「ささめきこと」というアニメにおけるベストエピソードになりそうです。
 
 

■まとめ


 
劇中に登場をした清酒の名前「咲(先)走り」って…。
この辺のコミカルな脱力感とのバランスが、如何にも「ささめきこと」らしいよな〜って思いました。
 
 
 
<関連エントリ>
■テレビアニメ「ささめきこと」 劇中での、ささめかない音楽について