「中二病でも恋がしたい!」の中二病と喧嘩芸骨法に感じる妙〜な共通点

 

 
アニメ版の開始当初より、中二病でも恋がしたい!を観ていて、妙〜な既視感を覚えていたんですが、今回はそのことについて、ちょっとアレやコレやと書いてみようかと思います! 喧嘩! 喧嘩! 喧嘩芸だ! 骨法!!
 
<喧嘩芸 骨法のテーマ>

 
 

■「中二病でも恋がしたい!」における"中二病"

"中二病"の定義、解釈は様々であるものの、この「中二病でも恋がしたい!」という作品において、その"症状"のメインとして描写されているのは、「(アニメや漫画、ラノベといった媒体に大きく影響を受けた)空想の世界に耽溺すること」だと思います。例えば、カタカナや難読漢字を多用したオリジナルのキーワードを作る、ぬいぐるみや電卓といった身近にあるアイテムの数々に、本来の機能以上の意味を加えて自信の周囲をデコレートする…そうした日々の活動の積み重ねによって主人公、小鳥遊六花が生きる"中二病的世界"は構築をされています。
 
そんな六花の主観の世界と周囲との"ズレ"。しかも、その"ズレ"が周囲との軋轢やハプニング、ストレスといったネガティブ・アプローチではなく、笑いや、或いは優しさに満ちた登場人物達とのコミュニケーションを生み出す…というポジティブなイメージに繋がっていくのが本作の大きな魅力ではないでしょうか?
 
といっても、原作の小説ですらまだまだ序盤な「中二病でも恋がしたい!」ですので、この先、一体ストーリーがどんな方向に転がっていくかは未知数なんですが…少なくとも、既刊の原作小説とアニメ版の放映分を観た限りでは、この作品に関してはそういった明るい要素が強いのかなぁ、と。
 
さて、そんな「中二病でも恋がしたい!」ではありますが、本作で登場する中二病の描写を見るにつけ、私は強い既視感を抱いていました。造語やアイテムを駆使して、自身の主観の中で独自の世界を創り上げる。そういった"世界"を以前にもどこかで見た覚えが…。で、しばらく考えた後にようやく気付きました。本作の中二病の描写ってアレにソックリなんですよ! 骨法!!
 
 

■"喧嘩芸 骨法"とは何か?

"骨法"という格闘技をご存知でしょうか? "骨"の"法"で"骨法(こっぽう)"。格闘技やプロレスに詳しくない方には如何にも馴染の薄い不思議な響きを持ったキーワードかと思いますが、骨法はかつてこの日本で"最強"と考えられていた格闘技です。
 

<喧嘩芸骨法創始師範 堀辺正史>
 
簡単に概要を説明すると、骨法は80年代の後半に堀辺正史という一人の格闘家によって世に姿を現した格闘スタイル。幼少期より喧嘩に明け暮れた堀辺氏は、高校を卒業後、世界中を放浪してあらゆる格闘技の猛者達と戦った上でその技術を実践化、体系化していきます。そして、生まれたのが骨法です。
格闘技の世界では、90年代の初めにブラジルから登場をしたホイス・グレイシーによってバーリ・トゥード(ポルトガル語で「何でもアリ」の意)という概念が生まれ、そこから近代的なMMA総合格闘技)が誕生。統一化したルールの中で実戦的な格闘技の強さや技術を競い合う下地が生まれますが、堀辺氏が骨法を提唱した当時は、そうしたムーブメントもなく、どの格闘技が一番強いのか? どの格闘技が最も実戦に適しているのか? という問いに対する答えが非常に曖昧模糊とした状態であり、格闘家、格闘ファンにとっての大きなテーマとなっていた、そんな時代でした。
 
そして、骨法はグレイシー登場以前のいわば"隙間"に突如として登場をしたのです。
 
堀辺氏が喧嘩や他流試合の果てに、その技術を完成をさせたという触れ込みの骨法。その骨法が持つ独自の格闘理論と技術体系、及び思想に当時のプロレスラーや格闘技関係者の一部が心酔。この骨法に魅せられた有名人の一人に"燃える闘魂"こと、プロレスラーのアントニオ猪木が挙げられます。
 

<堀辺正史氏に骨法の技術を伝授されるアントニオ猪木>
 
猪木は、空手家や柔道家といったプロレスラー以外の格闘家たちとの戦い…"異種格闘技戦"を戦い抜く中で、やがて当時の最先端の実戦格闘技術(と思われていた)たる骨法に接近。猪木が堀辺氏から強い影響を受けたことで、当時のプロレス、格闘技ファンの間で急速に骨法への認知度と幻想が高まっていくことになりました。
 
さて、そんな骨法ですが、これが如何様に「中二病でも恋がしたい!」の中二病の描写に私のイメージの繋がっていったのか? 実は、この骨法、まさに六花ちゃん的というか、成り立ちそのものが非常に中二病的なのです。
 
 

■骨法と中二病が紡ぐ"偽史"

80年代の後半に突如として登場をした骨法。堀辺氏の著書によると、そのルーツは、
 

骨法とは、奈良時代万葉集を編纂した大伴家持の甥、大伴古麻呂が創生したもので、各氏族伝来の"手乞い"がその源流に流れている
 
- 堀辺正史 「喧嘩芸骨法」 (二見書房) P.52

 
とのこと。
 
つまり、骨法は堀辺氏が一代で完成させたものではなく、太古より連綿と続く日本古来の拳法であるというわけです。しかし、「大化の改新」を起こした藤原氏と大伴氏との間で権力争いが起こり、その争いに敗れた大伴氏は自身が生み出した骨法と共に歴史の闇へと葬り去られてしまいます。そして、その後に、骨法は堀辺氏の祖先に秘密裡に伝えられ、一子相伝の秘術として受け継がれていくことになった…というのです。
 
そして、その一子相伝の秘伝を現代に甦らせ、更に実戦格闘術として完成度を高めた格闘術こそが、自身の"喧嘩芸 骨法"である、堀辺氏は声高にこう主張をしたのです。
 
この堀辺氏の主張に関しては現在までに様々な反証が行われており、その信憑性に関しては大きな疑問符が付けられています。真偽の程は定かではありませんが、その後、骨法が総合格闘技の大会で連戦連敗をしたこともあり、今風に言うと"トンデモ"系の主張であるというのが大半の格闘ファンの見方です。
 
ただ、ここで注目をしたいのが、堀辺氏が世に広めた骨法が、そのプロパガンダの過程において自身で歴史を編纂、改竄したこと。この部分です。
話は、ここで「中二病でも恋がしたい!」に戻りますが、例えば、この物語の主人公たる六花ちゃんや凸森が、自身で発案した、或いは、漫画やアニメやゲームといったメディアからサンプリングしたキーワードや世界観をパッチワークして、自身の世界観を構築していく過程というのは非常に近しいニュアンスがあると思うのです。即ち、"偽史"を紡ぎ出すこと。骨法と「中二病でも恋がしたい!」における中二病的な行動というのは、現実世界とは違う、もう一つの歴史を作り出すことに注力をしている。
 
 

■骨法と中二病のデザインセンス

また、数々のアイテムや独自のデザインセンスに彩られた言語、衣装などを通じて、自身の世界を飾り付けるというテクニックも、中二病と骨法の共通点だと私は思います。
 
例えば、立花ちゃんが空想の世界で不思議な武器を手に相手に立ち向かうように…或いは、「邪王真眼」という不可思議な言葉を創って、自身の世界を構築するように、骨法も数々の独自の用語や技術を生み出すことで、その世界観を確立していきました。
 
<骨法 技術集>

 
上記の映像は、骨法がその技術体系を格闘技ファンに知らしめた演武、闘技大会「骨法の祭典」の一シーンですが、器械体操のユニフォームのような不思議なコスチュームに独特の構え、そして、奇妙な形のグローブ…と、骨法が持つオリジナリティー溢れるデザインセンスが、この短い映像の中でも大爆発をしています。
 
まるで、コンテンポラリーダンスの如き特異なリズムと動きで、半身に構えて相手に向かい合う(堀辺氏の理論によると、この構えを取ることで、相手と向き合う体面積が減る為、打撃を受ける確率が減る…らしい)、腕を折り曲げた状態から拳でなく掌で相手を叩く(通称、「掌打」「掌底」。通常のパンチではなく、こうして打撃を打つことで、最速で…しかも、相手の脳を揺らす打撃が打てる…らしい)といった骨法独自の技術体系の数々は、現在のMMAで見られる構えや技術とは大きな開きがあり、今ではとても"実戦的"とは言えない代物ではありますが、それでも、その動きや構えには独特のセンスが存在をしています。「突掛面」「押切面」「刎揚」といった造語の数々も堪らない!
 
また、会場に置かれた太鼓や鎧兜といったアイテムの数々も、「中二病で恋がしたい!」における数々の中二アイテムによってデコレーションをされた主人公の部屋とやっていることは大差ありません。つまり、空想の世界を現実にあるアイテムで補うこと。「玄武」と呼ばれる亀のヌイグルミやモデルガンで飾り付け、空想の世界を部屋に再現する中二病のファンタジー的なセンスと、鎧や日の丸で闘技場を飾り付けることで、その格闘思想を具現化する骨法のセンスって近しいと思うんですよね、凄く。
 
 

■空想の世界に生きる骨法と中二病

"骨法"と"中二病"…この二つを見比べてみると、その世界観を確立するのに必要なものがいくつか共通をしていることが分かります。それは、偽史であり、オリジナリティーに溢れた造語であり、独自のコスチュームのようなデザインセンスであり、それらを飾り付けるアイテムの数々です。
 
…ま、コレってつまりはカルトの手法("カルト映画"とかの"マイナーな"みたいな意味じゃなくて、言葉本来の意味としての"カルト")だと思うんですけど…。ただ、カルト程、毒や悪意が強くないのが、骨法とかこの辺の不思議カルチャーの興味深いところで。
 
で、自分の中で骨法と中二病のイメージが結びつけられる理由って、ズバリこの部分なんです。どちらも、その空想の世界をクリエイトする手法がとても良く似ている。オリジナルのキーワードを駆使してヒストリーを創り、アイテムを使ってそのセンスの強度を高め、そして、創り上げた"世界"を現実世界へと放つ。空想の中で創り上げられた、その歪な内面世界を現実世界に叩きつける。
80年代の終わりに、それを格闘技の世界で実践し、一度は成功を収めかけるも、その直後に海の向こうから現れた"総合格闘技"という現実によって無残にも一瞬で崩壊をした…それが骨法です。
 
アニメ版の第3話で、六花ちゃんは幾度もスライディングキックを使用していましたが、アレも骨法の秘術である"摺り蹴り"なのである。やはり、「中二病でも恋がしたい!」の中二病は骨法的なのである…といった見立ての暴走が無限に出来てしまう位、私の中で骨法と中二病は凄く似たセンスを感じます。
 

<スライディングを放つ様に相手の足を蹴り、破壊する骨法の必殺技"摺り蹴り">
 
ただ一つ違うのは、構築した空想世界がアッサリと現実の前に瓦解した骨法に比べて、中二病でも恋がしたい!」の空想の世界は、現実の中で温かく見守られているということです。あの作品の中で、突拍子もない行動をする人間に対して、周囲の人々は、そして世界はとてつもなく優しい。冒頭にも書いたように、この部分こそが「中二病でも恋がしたい!」という作品の一番素敵なところであり、チャームポイントなのだと思います。
 
…なんて、ツラツラと思うがままにエントリを書いてみましたが、こういう自分の好きなもの同士をムリクリにクロスオーバーして語りたがる、この私のセンスこそが一番に"中二病"的なのかもしれないですね。
 
いや、でも似てると思うんだよな〜中二病と骨法…。