アニメと映画のエモーション、そして「あさっての方向。」の思い出

 

 
■人はアニメという映像表現を何として見ているのか (失われた何か様)
 

「人はこのアニメという映像表現を何として見ているのか。
この「何」に当てはまるのかは、個々人の歩み/取り組み方によって違ってくるのだろう。」

 
あぁ、これはおもしろい視点だなぁ、と。で、自分自身もアニメを一体どんなサムシングを通して観ているのか、感じているのかについて考えてみた。今回のエントリでは、その辺りについてのアレやコレやを!
 
 

■自分にとっての"アニメ"とは…

「人はこのアニメという映像表現を何として見ているのか」その答えは、自分の場合、割かしハッキリとしていて、迷いなく明確に答えることができる。
 
私の場合、間違いなくアニメとは"映画"だ
 
元々、映画ファンからアニメに入っていった人間なので、映画とアニメという映像表現がリンクすることは極々自然な流れだったのだけれど、それでも今日に至るまでアニメには映画的な要素、映画的なエモーションというのを見出し続け、或いは、求め続けている。
 
映画とアニメ…その二つが自分の中で強く繋がった時の記憶というのは今でも強烈に印象に残っている。私のBLOGのタイトルをご覧になっていただければ分かるように、私はアメリカの映画監督、ジム・ジャームッシュストレンジャー・ザン・パラダイスの大ファンだ。
 

 
特にあの映画のラストシーン…観る者の胸に深い余韻と何とも言えないセンチメンタルを残す、あの名場面には、私が映画に求めるもの、美学みたいなものが全て詰まっている。「ストレンジャー・ザン・パラダイス」は、自身の映画鑑賞史に残るスタンダードであり、オールタイム・フェイバリットな作品として、心に刻み込まれている。
 
そんな自分がある日出会った一本のアニメ作品…桜美かつし監督の傑作あさっての方向。。コレを観た時は、本当にビックリした。何故なら、全編に渡って私が「ストレンジャー・ザン・パラダイス」を初めて観た時に感じたようなエモーションとセンチメンタルに満ち溢れた作品だったからだ。
 
 

■「あさっての方向。」という"映画"


 
あさっての方向。」は、不思議な石の力で小学生の女の娘と大人の女性の身体が入れ替わる…そんなファンタジックな一夏の体験を通して、彼女たちとその周辺にいる登場人物たちの成長と人間関係の再生を描いた作品だ。
 
このアニメに出てくるキャラクター達は皆、他の誰かのことを強く思い、その誰かの為に行動をするが、それが却って人を傷つけ、また相手を悩ませる結果になってしまう。とにかく、"もどかしさ"と"いじらしさ"を強く感じさせられる作品なのだ。そして、誰かの為に対して動ける強さとそれ故の弱さを併せ持つ各キャラクターたちの姿は、強い感傷に満ちていて…このアニメを観て、私は本当に驚いた。
 
「アニメでも、こんなエモーショナルなストーリーが作れるのか!」
 
自分が大好きな映画作品…前述の「ストレンジャー・ザン・パラダイス」、同監督によるトム・ウェイツ主演の「ダウン・バイ・ロー」、或いはヴィム・ヴェンダースの「パリ、テキサス」、ポール・トーマス・アンダーソン監督、アダム・サンドラー主演の「パンチドランク・ラブ」…といった映画作品の"傑作"たちと同じエモーションを「あさっての方向。」からは、強く感じとったのだ。
 
それまで、私にとってアニメとは、もっとライトに楽しめるエンターテインメントだった。笑えて、可愛い女の娘が出てきて、カッコいい男の子やロボットが沢山出てくる。勿論、その時点でも十二分に"アニメ"という表現ジャンルを楽しんでいたし、満喫していたと言えるが、「あさっての方向。」は、明らかにそれまでに観ていたアニメとは異質の情感を与えてくれた。
 
本作を観て、ポップなだけでなくエモーションやセンチメンタルといった情感をもアニメは描くことができるのだということに気付いたし、自分のアニメに対する感性、視点を大きく変えてくれたのが「あさっての方向。」だったのだ。
 
以降、自分にとって"アニメ"を観る時に、"エモーション"という要素は大きな魅力となっていく。「あさっての方向。」以降に出会った自分にとって大切な宝物のようなアニメ作品…「スケッチブック〜full color's〜」「にゃんこい!」「HEROMAN」「ノエイン もうひとりの君へ」「鉄腕バーディーDECODE」「はなまる幼稚園」「夏目友人帳」…いずれもエモーショナルな感性を強く残した作品だ。
 
私は、「あさっての方向。」というアニメを通じて、そこに大好きな映画に感じていたのと同じエモーションを観たのだと思う。そして、それは"アニメ"と"映画"という表現をそれまである程度セパレートをして考えていた人間にとっては、凄まじくエポックメイキングな出来事だった。
 
 

■アニメに映画を感じさせる"音楽"という要素

あさっての方向。」によって生まれた映画とアニメのリンク。その衝撃は凄まじく、未だにアニメには映画的な感性と視点を持ち込んでしまう。
 
それは、時にカメラワークであり、演出論であり、カットの数であり、脚本の妙技であり、役者(声優)さんのテクニックである。そして、私の中で映画とアニメを結びつける大きな要因として欠かせないもの…それが、音楽の存在だ。
 
アニメも映画と同じくサウンドトラックがある。そして、映画と音楽は決して切り離せないものだ。例えば、前述の「ストレンジャー・ザン・パラダイス」。当時のインディーズ・ミュージック・シーン、パンク・シーンから大きな影響を受け、また強い結びつきを持っていたジャームッシュが映画の主人公に選んだのはプロの役者ではなく、彼の友人であり、The Lounge Lizardsのメンバーでもあったジョン・ルーリーであった。また、ルーリー演じる主人公の悪友、エディー役にキャスティングをされたリチャード・エドソンは、Sonic Youthの元ドラマーだ。
 
ロック・ミュージックを巧みに映画の中に取り込んだジム・ジャームッシュ。そして、ジャームッシュと同じく、自分が先ほどフェイバリットに挙げた映画監督は、皆、ロック・ミュージックとの強いリンクを持ち、自身の作品に素晴らしい音楽を持ち込んだ。ヴィム・ヴェンダースポール・トーマス・アンダーソンも映画の中で音楽を使うのが抜群に上手い。そして、それは映画ファンだった自分にとって、新しい音楽との出会いも作ってくれた。
 
アニメもそれと同じで、劇中のBGMや作品の主題歌といった各音楽要素は、非常に映画的であり、そして、映画で用いられたそれらと同じく、時にロック・ミュージックと強く結びつき、そして、自分が知らない音楽、ミュージシャンとの出会いを与えてくれる。
 
エモーションと映像のテクニック、そして、音楽…「あさっての方向。」が、そのきっかけを作ってくれた新しいアニメの観方は、自分にとって非常に映画的であり、やっぱり、自分にとってアニメとは映画なのだ。そういえば、「あさっての方向。」は、主題歌もBGMも本当に素晴らしかったなぁ…あの抑えた感傷的な音がまた…。
 
 

■まとめ

「失われた何か」さんのエントリを出発点に、「あさっての方向。」の思い出とアニメと映画にまつわるアレやコレやを徒然と。未だに、あの映画的な感性をアニメに見出した瞬間の鮮烈な印象と感動というのは忘れられない。おかげで、映画を観る時にそうしていたように、クレジットをシッカリと確認し、監督や脚本家や役者の名前をチェックして、そして、そこからまた新しい作品を知り、のめり込んでいく…という楽しみ方をするようになり今に至るという感じ。自分にとっては、「ストレンジャー・ザン・パラダイス」と並ぶ"映画"なんですよね「あさっての方向。」は。
 


 
 
 
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